撃沈…

私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」


こんばんは、
彗光です。本当に急に寒くなってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、最近、

彗光さんは、数十万のセッションの意味が分からない、と言っていますが、彗光さんも数千円、一時間で取っていますよね?
同じ穴の狢だと思いますが、どうでしょうか?

という質問を最近されて、止めを刺された彗光です。

その方にはきちんと説明をしましたが…価値基準がほとんどない「スピリチュアル」の世界とはいえ、
こういった質問をされることはショックでした。まさに、「撃沈」という感じです。

一応、この質問に対する回答を簡単に書いておきますと、
「価格」というのは、「利益」と「元手」というもので殆ど説明することができます。
私の場合、このサイトの運営費だったり、実際にセッションを行う時の対応労働費だったり、経理の費用だったり…
そういったものが元手となり、それ以外の部分が「利益」になる訳です。

現在私は、「元手」の部分を価格の大半にし、「利益」分を少なくし、「寄付」で活動を賄っており。
所謂「技術料」としては、価格にほとんど献上していない状態です。

数十万のセッションは、それがどういった内訳で計算されているのかはわかりませんが…
同じように計算されていると思ったのは、非常にショックでした。


テレビでは、ホットリーディングとコールドリーディングを使った占いが、「人気の占い師」として紹介され。
「超自然的な世界」が今でも愛されています。

(「ホットリーディング」…
話をする相手に対して、事前に準備をし、あたかもその情報を事前に仕入れていなかったかのように話す方法。
「コールドリーディング」…
話をする相手に対して、その場で情報を収集し、相槌などを駆使して信頼を得る方法)

こういった現実が、結構のしかかってくるものです。

本来のスピリチュアルなんてもんは、必要ないものなのかなぁ?
と考えてしまいますが、どうなのでしょう?

いい働き口があったら、そちらに就職して、この活動を辞めようかなと思います。こういったときは、いつも。
最近、転職先をまじめに考え始めた感じです。

「物の価値」や、「人の生き方」が大切にされるときは、いつくるのでしょう?
「易き」に流れることを扇動する人たちが咎められることは、ないのでしょうか。

世のいわゆる成功者は…みな口を揃えていいます。
「楽しむことだ。そして、こつこつと自分らしく歩み続けることだ。それが成功への一歩だ」と。

最近、人のためにあれる瞬間は楽しいのですが、冒頭のように「無知」でありながら、否定をしてくる人の対応に疲れてきました。
いっそのこと、価格を上げてしまって価格帯で振るいにかけてもいいのかもしれませんが、いかがなのでしょう?

今ここで書いているメッセージ自体が広まることなく、
「数十万のセッションで幸せ体験」というものの方が崇められるのであれば、価格の変更は何の意味もない気がします。

本当に、幸せになりたい人が少ないのかな。

と、最近考えるようになりました。
それならば、「自分の幸せのみ」を考えた方がいいのかと。

実際、「いつか必ずお礼するね」といっておきながら、ひどい仕打ちをして去っていく人間が存在しているのを見ると。
自分が「好意」でやっていることは、何なのだろう?と分からなくなるものです。

寒い季節、心細くなりやすいものですよね。
多分、そういったものに、私も当たられたんだと思います。

だけど、心ない言葉や行動。そして、同じ分野で「易き」を売りにして流行る世界…
そういったものを、乗り越えられるかちょっと、分からないのです。

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