お仕事や、自分の天命について考え、
悩み、苦しくなる日々が続く。
今朝、シャワーを浴びながら、ふと聞こえてきた言葉は、
「時間はあるから、苦しまないで」
という声であった。
自分の喜ぶことはなんだろう?
自分は本当に、自分が思っているような人なのか?
すぐには結論が出ないけど、慌てなくてよいのかもしれない。
雪道は、急いで歩くと転んでしまいます。
降った雪の感触を、足の裏で感じながら進めば、転ぶことはありません。
今見える、景色を。
まずは、日々、生きることを。
一歩進んで、空を見上げ、
にこり、と笑えば答えはいつかでるのでしょう。
必要なときに、必要な答えはやってくる。
だから、今は苦しまないで。笑っていて。
私の寺の座禅堂の入口に”只菅打坐”という言葉が掲げて有ります。
これは、これから”座る”ための心得であり、極意でもある禅の言葉です。
“只菅”~ただひたすらに~と読みますが、その意味する所は、決して気負わず、でも気を抜かない、そんな究極の自然体の所作を指しています。
人が生きて行く上で、この「只」という事がいかに難しい事でしょう。「只座る」、「只立つ」、「只歩く」、「只生きる」
でも、逆にこの「只菅」の生き方への意識が幸せへの道標にもなっていると、私も日々心している言葉でも有ります。
~まずは”思考のスイッチ”切って、それからゆっくりと歩き出してみる。
そんな、静寂の句読点が生活の中には必要なのかも知れませんね。
いつもコメントありがとうございます。
禅、瞑想、自然体、ヨガ…
共通にある理想のかたちとして、そのままでいる、ということがございます。
これは、流れる空気や、波動をそのまま受けるために必要なことだと言われてます。
自分の力を入れると、身体に自然の力を拒んでしまい入らず、
逆に力を、いれないでいると自然の力を捉えることができないからです。
空と地上の間で、そのままであること。
大切ながら、難しいことと思います。