人には、人の持ち物がある。
とあるゲームについて、友人と話をしていた。
「あのプレーヤーは上手いよね、あの動き、好きだな」
「そうだよね、本当に強い」
「君は?目標はないの?こうなりたいとか」
「ああ、それこそ、僕は彼みたいになりたい」
「なるほど。でも、彼にはなれないからね、彼に近づいてそして、君らしくいつかできたらいいね」
2002年に、ヒットした民族系の歌い方をルーツにした歌手の歌を、改めて聴く。
デビュー当時は、民族色の強い歌い方で、神聖ささえ感じるような神秘さで一世風靡した。
2016年にリリースされた新しい曲をたまたま聴く機会があって、同じように聴いてみた。
その歌声は、西洋の呼吸とアクセント、音程をベースにした歌い方になっていた。
正直、私は2002年の歌い方の方が好きだ。個人の好みなので一概に何とも言えないけど、最近その歌手がヒットしたという話を聞かない。
そういえば、「わざわざヨーロッパまで行って音楽の勉強をしている」って、昔音楽番組で言っていたっけ。
なるほど、それが今の歌声になったのだろう。
確かに今、歌い方というのはある程度セオリーというのが決まってきている。
でも、必ずしもそれがいい、という訳ではないと感じる。売れ行きから見ても。
芸術に触れる人は「自分の内部」を如何に出すかが大切で、その作品の命に関わるのではないかと思う。だから、「自分の内部」つまり、「魂」を如何に引き出すかが大事なのだと。
自分の魂を引き出すためには、自分が使うべく道具があるはず、と僕は思う。歌手の彼女は、自分で選んであの歌い方になったのかな、と少し考えてしまった。
ただ、1つ言えるのは。
2002年にリリースした、神様の名前が入ったあの曲は、人の魂に訴えかける曲だった。孤独や大きな世界に立つ人間の儚さや美しさと、そこ横にいる神を感じる素晴らしい歌だった。
「自分らしさ」など、探さなくていいんじゃないかな。
「自分」がもう、森羅万象の中での、たった1つの存在なのだから。
だからこそ、自分を引き出すものを持つのがいいと思う。人には人の持ち物、自分には自分の持ち物を、とね。
中央線、各駅停車。
とても多くの人が今日も乗っています。
その一人一人が、一人一人の物を持って、一人一人の人生を歩めますように。
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