自分の普通と相手の普通

person holding blue and yellow paint brush すいこう いん まい まいんど

私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」

最近、人と話をしているときに…
もちろん、それはセッションとか…仕事関連の話も関係するのだけど…

「話を聞かない人、文字を読まない人」

というのを感じることがある。


なんだろう、それは。
「人の話を聞かないし、文章も読まないから、この人は嫌だね」
という話になるのではなく。

「この世の中には、そういった人もいるのだ」
という「理解」を持たないといけないな、という話をしたい。

確かに…人の話は聞けるようになった方がいいし。
積極的に文学に触れて、人の「心」を学んだ方が強い想いを持てるようにもなったほうがいいと思う。
その「強い想い」が「幸せ」を導くカギになることもあるから。

まぁ、そんな難しい話ではなくても。
「分からないこと」があったときに、きちんと人の話を聞いたり、文章を読んで理解できた方が分からないことは減るよね。

ここから先の話は、そういった…「この世には、できた方がいいことがあるんだ」という考えを、私が持っている前提で読んで欲しいんだけど。

それでも、この世の中には「人の話が聞けない人」がいて、「文字を読まない人」がいるんだよね。
そういった人達に対して、どう対応をしていくか…なんていうことを考える場面が、最近結構ある。

まぁ、導かれる結論は至ってシンプルなもので。
「相手が分かるようにできるだけ噛み砕いて説明して、それでも相手が受け取れない・受け取らないのであれば諦める」
というものなんだけど。

なんというか…「自分が思っている普通」が、普通じゃない可能性というのを持っていた方がいいと最近常々思うのだ。

「普通の人は、話を少しでも耳を傾けてくれる。分からないことがあったら、自分で調べる。」
こういった考えが…なんていうのかな、通らない時が増えてるなって思う。
この「話を聞く・聞かない。読む・読まない。」以外の「普通」っていう感覚全般についても、ね。

だから、そういった自分の価値観の「外」にいる人を、どんな人であれ「悪」にするのは良くないよねって。
自分は最近そう感じるかな。

別に合わない人を「悪」にする必要はなくて。
「違う人」と認識すればいい。

どちらが正しいとか、考えなくていい…自分の中で正しいのであれば、自分でその道を歩めばいいんだなって。

今までこのブログで書いてきたけど「他人を変える」というのは本当に難しいし、ときに、どうすることもできないものだ。

だからこそ、自分と「違う」人間はたくさん出てきてしまうのだし。
むしろ、分かり合える人の方が少ない。ちょっと悲しい気もするけどね。

でも、その「違う人たち」を「悪いもの」にしない方法はあるっていうこと。
それは他人のためではなく、自分が「優しい気持ちで生きる」ために必要なんだなって思うよ。

ちょっとでも他の人を、「それぞれの人」として見れたらいいね。

※本文中の体験談には、フィクション要素が含まれることがあります。
※これは特定の誰かを責めたり、断定をしたりすることを避けるためです。

先生ちょっと聞いて

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彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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