「大きな主語」に流されないで

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私も良くやってしまうので、戒めの部分もあるのですが…。
人に説明をする・されるときの両方の場面で、大きな主語が出てくることが時々あります。

「今の時代は…」
「セオリーとして…」
「普通は…」

もちろん、こういった前置きを使って説明をするとき、明確な根拠があれば問題はないのですが、
自分の感覚であったり、思っていることに対しても、大きな主語で話されることがあると思います。

疑って掛かることは、他人とのコミュニケーションを悪くしてしまうので、「いつでも」とは言いませんが、
何でもかんでも「鵜呑み」にしてしまうのも考えようです。

特に今の時代、明確な「答え」や「セオリー」というのは私は無くなってきてると思っております。
少し前の話で恐縮ですが、リーマン・ショックが起きた時に「安定している職」と言われていた様々な職が、不景気の煽りをくらい、バタバタと倒産していきました。
当時営業マンとして働いていた自分は、確約されていた発注が消える瞬間や、景気の良い客先が突然、倒産する様を見た時に、
「経済って、本当に予想がつかないことが起こるものなんだな」
と感じたものです。

このように、変化が著しい「今」の中で、「確かなこと」というのは、非常に少ないと私は考えてます。

ですので、大きな主語で話される事柄については、一度自分で吟味をした方が良いでしょう。
「マジョリティ」と呼ばれる、主流派の意見や、コミュニティがいつまでもそのままである保証はないのです。

そんな中、変わらないものといえば、人の心や、誠実さなどの「想い」ではないでしょうか。

流行り廃りに流され続け、「自分」が空っぽにならないように過ごしていきたいものです。

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