コロナ自粛の終わりが見えてきた今、忘れて欲しくないもの・忘れて欲しいもの

私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」


最近になってようやく、新型コロナウイルスが蔓延する以前と同じような「日常」を取り戻してきた人が増えた気がします。

ただ、東京では感染者数が40人を超えていたりと、「ぶり返し」のようなものも見えてきており、まだまだ油断ならぬ日々だなと思います。


今回の新型コロナウイルスの件で、生活が変わり、価値が変わり。
いろんな「変化」を促された人も多いかと思います。
でも「日常」が再び戻ることによって、その「変化」も元に戻る…なんてこともあるのかな、とか考えていたり。

新型コロナウイルスの対策自粛期間では、一部「消費物」や「業種」が自粛の煽りをくらい、困窮する状態になりました。

具体的には外食産業、学校関連…上げようと思えば、いくらでも上げれると思いますが、沢山の人が辛い思いになったんですよね。

その現実自体はとても悲しいことだけど、他人の痛みを「労わる」動きも出てきました。

「テイクアウトを利用してあげよう」とか、「みんなが役に立つ動画を配信しよう」とか。
多くの人が、「見えない誰か」を思えたわけです。

他にも、自粛とは逆に医療従事者の方々は、大変なお忙しさとリスクの中にいました。
そういった方々を「励ます」動きも見えた…これも実際には見えない人々を「想う」ことだったりするのですよね。

語弊を恐れずに言えば、今回の新型コロナウイルスの自粛期間によって、人は「他人を想う機会」を得たのではないかなと思います。
そして、そういった優しい心が、舞い戻る日常と共に忘れ去られなければいいな、と思っています。


ただ、自粛期間は「病気」としての新型コロナウイルスの被害以外に、大きな「負」の側面を残したのは事実です。
「自粛警察」と言われる、「人が人を裁く」動きは、なんだか「魔女狩り」に似たようなものを感じました。

他人に対して「この人はおかしい」と思う部分があれば、それ以上に関わらず、そのまま放置すればいいものを。
寄ってたかって、虐める仲間を集めて、攻撃するという。
これはどちらが悪なのでしょうね。

こういった負の側面に対して、Twitter社が対応を考えたり、著名な方が呼びかけをしたりし、再発防止を社会的に行っておりますが、
やはり大事なのは、各々が持つ「正しさを考える心」なのではないかと思います。

「自粛警察」と名を打って、人を攻撃することの「正義」はどこにあるのか。
そういう行動を行うことによって、誰が救われるのか。

正しさを考えないことには、根本が解決しないと思いました。

もちろん、多くの方が社会的に対策を練ることもとても大切です。
多くの人が問題を「問題」として取り上げることで、関心が高まることは必要なことですからね。


まとめると、新型コロナウイルスの自粛期間を通して、「より他人を想える人(頑張っている人を応援する人)」と、
「変わらず人を想えない人(自粛警察として人をたたく人)」の差が出てきたのではないか、
と思います。

霊的に考えれば、こういった「想い」の差というのは、今でこそ現実生活に大きな違いを生み出しませんが、
いずれ、「生活をすること」に影響を及ぼしてくるものです。

「見えない人を応援する」ことができた人は、辛いときに見えない人から助けてもらえます。
「見えない人を攻撃」した人は、突然誰彼知らぬ人から攻撃を受けるものです。

今回は説明を省きますけど、世の中は「正負の法則(代償の法則)」が働いているわけですから、自ずと自分に行ったことが返ってくるわけですね。


自粛期間が解かれると共に、「悪かったこと」は反省し、「良かったこと」は次の時代に残していきたい…そう思うものですよね。

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