「ぼくのかんがえたさいきょうのスピリチュアル魔法」

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私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」


最近、自分の記事に満足が出来なくなってきて、何かきっかけを得ようということで、田中 泰延さんの「読みたいことを、書けばいい」 を読みました。

自分の書いているブログが、正直伝えたいことだけを書いていると、すごく偉そうに感じられて嫌だったんですよね。

それがこの本を読むことによって、解決しました。原因は
「情報として取得した部分を、情報として書かずに、自分の意見のように書いていた」ことでした。

なんでもかんでも、「~は、実はこういうことなんです」と書くと、単なる自分の知識を人に自慢しているように見えてしまうんですよね。

これからは、情報は情報として書くことによって、「ただ内容共有している」ということを増やしていきたいなと思います。

そうすることで「考えの押し付け」ではなく、「事実を伝える」ことによって、
「実際にそうなのかな?」
って読んでいる人に考える主体を渡すこともできる、とも書いていたので。

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スピリチュアルが怪しく見える原因も分かってきた

皆さんは、「ぼくのかんがえたさいきょうの~」というくだりを知っていますか。
これは「子供達が空想の中で考える、自分の世界観の中で一番強いもの」を説明する時に、よく使われるものです。

「ぼくのかんがえたさいきょうのかいじゅうは、つのが、にほんはえてて、すごい、ちからもちで…」
みたいな感じです。

最近は子供達だけではなく大人でも、特に何かの裏付けもなく、おすすめする時とかに使われることもあります。
「ぼくのかんがえたさいきょうの朝ごはん」
とか
「ぼくのかんがえたさいきょうのカップラーメンのアレンジ」
などの使われ方をするんですね。

ふと思ったんですけど、世の中にあるスピリチュアルの話って、大半がこの「ぼくのかんがえたさいきょうの」話になっている気がしたんですよ。
つまり、根拠を示さない話が非常に多い気がしたんですね。

これは決して、世の中にあるスピリチュアルな話が全て根拠がないということではなくて、
その元になる話をすっ飛ばしているものが多い、ということなんですよ。

例えば
「このセッションは、高次元エネルギーを使った人の意識を覚醒させるオリジナルのセッションです」
など説明している文章があるじゃないですか。

多分本当は、「オリジナル」と言っても、途中までは何かの知識や技術に基づいているはずなんですよ。
例えば、誰かから教わったチャネリングだったりだとか、誰かが提唱している世界観だったりとか。

でもそういった説明が本当にないんですよね。
だから世の中にあるスピリチュアル話っていうのは、言うならば
「ぼくのかんがえたさいきょうのスピリチュアル魔法」
になってしまってると思うんですよ。

これは私も例外ではない訳で。
これからスピリチュアルの話をする時には、できるだけ「根拠」であったり「情報」というものを、説明すべきなんじゃないかなと、思ったわけでして。

どんな文章でも書くときに気を付けなければいけないこと

今回はスピリチュアルの話で書きましたけど、記事を書くことならば、何でも当てはまると思うんですよね。

「なんでもない毎日を書く」ほっこりしたブログだったらば、別に気にしなくてもいいと思うんですけれども。

何かを伝えたいとなった時には「なるほど」と思わせる背景が必要である…ということを冒頭の田中さんの本で、私は学びました。

これからは余計に「見てもらう」ではなく「読んでもらう」記事を意識して、書いていこうと思いました。

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