特別な自分を押し出したとしても

私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」



今回スピリチュアルな話についてまとめているんだけれども、改めて情報を入手したりしている。その中でやっぱり出てくることとして、「選民主義」がある。
これは、「生まれてきた時点で特別である、ないし、何かの才能を得て今を生きているということを自覚している」というものだ。

もっと簡単に言ってしまえば、自分は特別であるということを前面に押し出している、ということだ。
「自分には何がついている」とか、自分には特別な能力がある」とか。常にそういった話がつきまとう。
別に、自分のことを素晴らしいと思うことは悪いことではないと思う。
問題は特別じゃない人間、つまり自分以外の人間であったり、選ばれていない人間のことを、否定することだ。
誰かを助けるための能力・技術であるスピリチュアルというものが、結局は自分を特別に見せて、誰かを否定するためのものになっている、ということは非常に悲しいことだ。


「選民主義」というものは、「スピリチュアル」だけではなく日常生活でもたくさんある。
自分をいかに大きく見せるのか、というふうな話で、「有名な人の名刺を何枚持っている」とか、「誰と知り合いである」とかそういったことをすぐに話したがる人というものはいる。
所謂「後光効果」を狙っているときというのが、これに当てはまると思う。

けれども大事なことは「どういった立場にあるか」とか「誰と繋がっているか」ということではなくて、その人自身が「どういったことができるか」「どういったことをしてきたか」ということである。
でも、日本人は「権威」に巻き込まれやすい人種らしく、そういった華々しいものにひょいひょいとついて行ってしまう人も多いらしい。

なんとなくだけど、これからは余計に実力主義になっていくような気がする。それはどういったものを持っているのかということではなくて、どういった素質を兼ね揃えているかということだ。
自分が何であるかではなく、自分がどういう風にあるかという事の方が大切になってくるということ。 
美味しいレシピをたくさん知っていたとしても、料理を作ることができなければ意味がない。まずは少しずつ前に進むことが大切なんだと思う。

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