仰々しいスピリチュアル文章はあんまり得意ではないのですが、今日はちょっと大きいスピリチュアル話を書いていこうと思います。
よく言われる話なのですが、この世界というのはある意味、一つだったりします。それは各々の事物が「エネルギー」という共通項で出来ている為です。そして、エネルギー自体はそれぞれに差がない…それは、無機物であっても、有機物であっても、植物であっても、動物であっても、勿論、人間であってもです。
これは、化学でいう分子や原子の考え方に似ています。全てのものは小さなエネルギーの集まりに過ぎず、その集合体が私たちが普段呼んでいる、それぞれの「モノ」でしかないということです。
だから、霊的な手法によって様々なことができるんです。各々の事物を形成している「エネルギー」自体に働きかけているので、普通では考えられないようなことに携わることができる…見えない存在を認識したり、コミュニケーションをとったり。人を癒すことができたり。様々です。
ただ、こういった発言や考え方というか知識はよく間違って発信されます。「私達はひとつなのです、だから全てを許しましょう」といったような、形のない一体感が説かれることが多くて、その意味がきちんと捉えられていないことが多いなと私は感じております。こう書くと、何かを否定したいように見えてしまうのですが、決してそうではなくてきちんと実態の伴った「一つ」という概念を伝えていけたらなと思いまして。
私達人間一人一人も、ある意味一つの存在です(「一つ」という考え方をどのレベルで見るかによって違う為、「ある意味」とつけました)。その存在に優劣はなく、各々が何かの目的のために生きています。それは、カルマを乗り越えることだったり、前世からの願いを成就することだったり。この人生に目標を持って生きているのです。
その目的の重さは違えど、何かを思って生きています。それはある意味平等なものであり、同じ目的を成就したいというエネルギーを持った、いわば同胞のようなものです。
だから、よくある祈りの中に「世界の恵まれない人達も我らと同じ、一つの存在。その人達が幸せであれるよう、祈りましょう」みたいなことを仰られる方がいますが、それはちょっと違うのかなと私は思っております。我らは皆、それぞれ生きる目的を果たすために、生きる世界を設定して生まれてきました。そこに上も下も、恵まれているもいないもないと思うのです。
「頑張って生きる同胞が、今日も自己の目的を果たせるように祈りましょう」なら分かるのです。それを「他人のために祈れている自分」を作るために、「一つ」が集まってそれがそれぞれ繋がっているという価値観を出すのは、ちょっと違うかなと。
ですので、全ての存在や生きる同胞に対して思いを馳せる時には、飽くまで自分と同じエネルギーの集合体であることを忘れないで下さい。そういった点が考慮されずに世界や地球への祈りが書かれていることがあって、これは間違って伝わっちゃいけないかなと思って今回書きました。
実際瞑想をベースにして、ほかの事物との境界がなくなる「ワンネス体験」などをしたりすると、本当の「一つ」の意味を感じられるかもしれません。全てを一つとするとき、その内部にある個々は上も下もないことがうまく伝わればいいなと思いました。
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