私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
今日友人から突然連絡が来た。
彼は、私が「困った時の相談を受ける仕事」をしていることを知っている。
内容としては、恋愛についての相談だった。相当困っていたようで、自分のことを優先することを忘れていたようであった。
自分が見えるもの、自分が知っていることをできるだけ伝えて。彼の悲痛な思いに、できるだけ耳を傾けようと努めた。
「いつの時も、自分を幸せに。」
その言葉を最後に伝えることができて良かった。彼は、私が伝えたいろんな言葉を何度も繰り返していた。少しずつ噛み砕いているようであった。
「『答えを焦らなくていい』って言葉に救われたよ。」
そう言ってくれた。
今目の前にいる人を少しでも幸せにしたいなと思う
今自分ができることは、関わる人、目の前にいる人を少しでも幸せにすることだと思う。
昨日自分で書いた記事だが、物事は大きさではない、「想いの強さ」が大切であると私は思っている。
今日彼からもらった「救われた」という言葉を、多くの人から貰えるように。そして、いろんな人を少しでも楽にしたいというこの思いが、いろんな人に広がっていくように。
まずは、会う人会う人に対して最善のことを尽くしてきたいと思う。特に、頑張っている人や、真面目に生きている人については。
そしていつの日かたくさんの人が、自分の目の前の人や、困っている人の力になりたいと自然に思えるように。率先して私は誰かのためであろうと思う。
文字にすれば、どこにでもあるようなことだ。やろうと思えば、とてもシンプルなことだ。
だからこそ、毎日を過ごす中でその大切さを忘れてしまう。
今、こうやって文字にするんだ。多くの人が、少しずつ幸せになって、生きていて楽しいなって思えることに自分が尽力していくってこと。
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