私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
こんばんは、彗光でございます。
昨日、「『嫌』と『否定』をまぜこぜにしないように」という記事を上げました。
そこで、自分でも行動に移そうと思い、「感情的に嫌だな」と思っている方の考えを知るべく何冊か本を読んでいました。
その中で、メンタリスト DaiGo さんの本を読んでみたので、その感想を書いていきたいと思います。
こういった書き出しで始めると私がDaiGo さんを嫌っているか如く感じられると思いますが、正直なところ「嫌い」というよりは、
いろんなメディアではっきりと「スピリチュアル完全否定」ということを仰っていたので、
「嫌い」というよりは「苦手」だなと感じていた次第です。
本日読んだのは DaiGo さんの本「運は操れる」という本です。ちなみに、完全に読み切り、今は「超人脈術」という本を読んでいる途中です。
「運は操れる」について、スピリチュアル路線から考えてみる
そもそもこの本に興味を持った理由として、「運」というものは偶発的なものの「象徴」のように感じていたので、
同じく、偶発的なものの代表として扱われることが多い「スピリチュアル」を否定している方が、
どのように書いているかというのは気になったためです。
内容は「心理学」や「様々な人の研究成果」や、「サンプルがどのように結果を出しているのか」という要素から、
「幸運」というものを、どうやって自分のものにしていくかということが書かれておりました。
その中で何度かスピリチュアルに言及しているところがあったのですが、
「運勢を上げるグッズを買ったところで、幸運にはならない」
「 スピリチュアルにすがっていても、大きな変化を起こすことは難しい」
ということが内容として書かれていたと思います。
さて、私の感じたことですが…
私はこの文章を見て真っ先に感じたことは、正直なところ「全くもってその通りだ」というものでした。
これだと本末転倒のように思われるかもしれませんね。
しかし私は、スピリチュアルというものは「人の生き方」であったり、「成功するために必要なこと」というものを、
「目に見えないエネルギー」であったり「偉人の教え」から解き明かすものだと考えています。
そのため、DaiGo さんが仰る、「スピリチュアルと名の付くものに、お金を払うだけでは、『運』は良くならない」、
という考えがしっくりきたのではないかと思います。
DaiGo さんの書かれていたことと、私が広げようとしている「スピリチュアルな話」の違う点として、
DaiGo さんのお話は、現実に起きている物事について、因果関係を元により現実的な話に集約しているのに対し、
私が扱っている「スピリチュアルの話」は、「見えないエネルギー」や「偉人の教え」に基づくものなので、確実性がありません。
しかしながら「スピリチュアルな考え方・論点」というのは、現実的には説明が難しいような「偶発的に起こること」を、
より体系づけて説明できる部分があり、広くいろんなことを関連付けられるのがメリットだと感じました。
ただ、どちらにしろ、自分が「目に見えないエネルギーの世界」から導いた結論と、
DaiGo さんが伝える「幸運」へのメソッドは似ている部分が多いと感じたのは事実です。
例えば、「幸運」のために必要なのが「ひらめき」「直感」であったり、
「自分が不運だと思うことがさらなる不運を呼ぶ」という話については、共通している部分だと思います。
そして改めて、今社会全体に広がっている「スピリチュアル」というものが、
「努力や日々の習慣関係なしに、人を幸運にしたり、幸せにするもの」として存在し、
「誰でも幸せになれたり、幸運になれるものだ」と扱われているのは、私も間違いだと思っています。
自分の「人生」や「運命」を変えるのに、「何かの儀式」や「アイテム」や「特別な行動」は必須ではないということです。
「確実に人間が変わっていくため」に大事なことは、「日々の生き方」であったり「自分の気持ちをどのように持っていくか」、
ということだと思います。
本当に今回ふとしたきっかけで、DaiGo さんの本を読んだのですが、読んでみて本当に良かったなと思いました。
苦手な感情は単なる私の食わず嫌いでしたし、仰っていることは至極ごもっともだなと感じた次第です。
自分の考えを広げるためにも、これからいろんな知識を得ていきたいと改めて思いました。
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