私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
「優しさ」。
それは定義することが難しく、「誰かを想って大切にすること」とだけ、言うことができるかもしれない。
でも、それは本当に貴重なもので。もっとみんなに評価されるべきものだと私は思う。
スマートフォンを誰もが持つこの時代、発信することは容易く、それでいて隠れることもまた容易になった今だから。
「優しさ」は言葉にするほど簡単ではない。
誰かを想って実直な気持ちを伝えることは、沢山の労力と苦労が伴う。
だけれども、その痛みに関わらず「優しさ」という行動は必ずしも実るわけではない。
その想いが届かないときがあるし、そのままに受け取って貰えないことだって往々にしてある。
感謝されないことだってある。
恩を仇で返されることだってある。
それぐらい、誰かに「優しさ」を注ぐことというのは大変なもの。
でも、そんなに貴重なものなのに今の時代、「優しさ」というのは疎かにされてきている。
「口うるさい」という言葉で片付けられたり、「大人」という言葉を盾に、自分に関与してくることから逃げていく人もたくさんいる。
このままでは、他人に興味がなくなるだけでなく。
大切な人を大事にすることすら、消えていくかもしれない。
だからこそ、身近にある「優しさ」を大切にしていって欲しいと思う。
誰かに「ありがとう」と伝えるときに、「自分もそう言われる存在でありたい」と思える人が増えていって欲しいと思う。
自分の様々なものを賭して行われる、その行動の有り難みを大事に…忘れずにあって欲しい。
そうしたら、その世界は互いに高め合いながらも、支え合っていける世界になっていくはずだから。
誰かの上に立つことを目標に生きていたって、敵を増やすだけ。
敵しかいない世界では、自分がどんだけ上になったとしても孤独になるものだから。
自分の周りに人がいてはじめて。
自分というものは、生きていけることを忘れないで。
自分がとても辛くて悲しいときに。
また明日も生きたいと思わせてくれるものは、他人の言葉だったり想いだったりする。
それは何にも代えがたいもので。
支えてくれるその存在が明日を導いてくれる、そんなことってたくさんあるんだよ。
だからこそ、支え合って生きる人々を繋ぐきっかけを…生きたいと思わせてくれる奇跡の元となる「優しさ」を。
もっと、沢山の人が忘れずに大切にできるよう…私は心から祈りたい。
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