私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
こんばんは、彗光でございます。今日はちょっと、私が感じたことを。
たまたま、今日は友人たちが所属しているグループでお話をしていて。
その中の一人が、とある職業について批判をしていたんですよね。
その職業は、最近できたばかりの職業で。
ニッチな外見を持っている人向けの、「ファッションモデル」というものだったんですね。
批判をした友人曰くは「そんなの職業じゃない、単なる自分のコンプレックスを正当化するためのもんだ」、
と話をしていたんです。
それを聞いて私は、「いやニーズがあってそれに応える形で、お金を稼いでいるのなら立派な仕事でしょう」、
という話をしました。
確かにその「ニッチな世界」に対して「好き好き」の差が出るのは分かります。なんたって、ニッチな世界ですからね。
でも、自分の「好き好き」によって、世間の人を「否定する」のは違うのだと思います。
この「嫌い」と「否定」を最近混同している人が多いな、と感じる今日この頃なのです。
自分にとって「好ましく思わない」ものを、「悪いもの」としてしまう時代の流れというのが確実にあるな、と。
誰だって自分にとって好きなもの・嫌いなものというものがあります。
でも、そういった「感情」というのは誰だって自由に持つことができる…そういった「多様性」が認められている訳です。
でも、最近は「自分が気に入らないものは悪だ」という、根拠のない「否定」が沢山あります。
言うなれば「魔女狩り」なのです、その物事を「否定する」理由もなく「駆逐」しようとするのですから。
もし、その「否定する」理由が、個々人の感情的なものであるなら、この世から「正しさ」はなくなるでしょう。
「コロナ禍」で怖いのは、「病気」としての脅威もそうですが、
こういった「根拠のない感情的なもので、人を淘汰すること」も最近怖いなと余計に感じるようになってきました。
例えば、「医療関係者・周辺関係者に対するいじめ」
現在、新型コロナウイルスの治療現場で奮闘している「医療関係者」が、十分に感染予防をしているのにも関わらず、
「感染者に近いところで働いている」という理由だけで、周辺の人に迫害されたり、避けられたりするのだそうです。
事実として、医療従事者は「感染拡大」を起こさないためにケアをしながら働いていらっしゃる訳で。
それなのに、「根拠のない」医療従事者はコロナウイルスにかかってそう、という勝手な思想で人を迫害する…
そんな現実があることが、非常に悲しいし、何よりも腹立たしく思う訳でして。
他にも、「コロナ禍」で自分の想像であったり、感情で人を否定する場面を多く見る日が続いており。
もう少し人として「優しくなれないのかな」と思う次第です。
自分が「嫌だな」と思う「人・モノ」に遭遇したとしても。
それで生活していたり、生きている現実を想像できる「思いやり」の心が少しずつでも広まっていけばいいな、と思います。
もし、そういった心が広まらなくても、「人を想えることが大切だ」と感じる人が少しずつでも増えたらいいなって。
そして、自分の我儘で人を傷つける人を「良くないことをやっている人」だと認識し、
そこでそういった人を罰することなく、気にしないように振る舞える人が増えたら…なんてことを思っています。
自分が気に食わないものを、何も考えずに攻撃する人が…どんな場面でも減ったらいいのに…
そう思った、彗光なのでした。
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