私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
おはようございます、彗光でございます。
といっても、まだ私にとっては夜の続きでこれからゆっくり寝ようとしているところではありますが…空が少しずつ灰色から水色に変わってきたので「おはようございます」です。
最近、このブログで何を書くのか、ということを考えています。
昨日noteのほうに少し書きましたけど「このホームページを通した自分らしさ」というものを最近、ひたすらに追及していました。
結局、このホームページを見に来てくれる人に、何を生むことができるか。
悲しい気持ちや、生きることがしんどくなっている人に何を伝えることができるか。
そういったことをただひたすらに考えていました。
そしたらここ数日考え過ぎて朝を迎えることが多くなってしまったという…あ、でも疲れ果ててお昼間にぐっすり寝ているので、一応寝てはいます。大丈夫。
いつもホームページの方向性とか、自分の活動が行き詰ったときに相談する友達がいるんですけど、最近その二人と話をしていた気づかされたことがありまして。
それは簡単にいうと「助けを求めてこのホームページを見に来ている人の気持ちになれてなかったのではないか」ということでして。
このホームページでは主に「困ったときにどうすればいいか」に主眼を置いて書くようにしています。
でも、実際「答え」が分かっていても、答えを進めない時というのは絶対にあるはず…私だってそうです。
「こうするのが正しい」とか「こうするのがいい」というのは、結構みんな分かっていたりしますよね。
でも、そこに行けない時もある。
それは今まで進んできた道を否定するのが怖かったり、どこかで報われたいと思ったり。
とにかく「こっちに行けば気持ちは楽になる」と分かっていても、今まで頑張った自分を否定したくないから、そこに進めない時ってありますよね。
そういった人たちを置いてきていたのかもしれない。
欲しかった言葉は「頑張ったね」という言葉だったのかもしれない。
マリーアントワネット的な発言だったのかなと考える
そういうのは、変な言い方だけどマリーアントワネット的な発言だったと言えるかもしれない、と思っていました。
「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない(訳し方は様々なあるけど、有名なこの表現を今回は使いますね)」というように「悩んでいるなら、こういう解決策を取ればいいじゃない」と私は話をしていたのかなってちょっと考えています。多少の反省。
でも、言い訳をするようでちょっと良くないですけど、どこかに「最適解」は置いておかないといけないなって思っていたんです。
ただ、そればかりで「最適解」を選べない人を置いてきていたのかなって。
とにかく、誰だって進みたい道に行けない時ってあると思います。
私も今までの頑張りを全て無駄にするような選択を迫られた時に「それが正しい道でも、今までの自分を否定するのは本当につらい」と感じたことは沢山あったし、とにかくつらかった。
誰かに「結果はでなかったかもしれなかったけど、頑張ったんだよ」と言って欲しかった…そんな機会が今まで何度とありました。
皆さんもただ「褒めて欲しい」、「認めて欲しい」ときというのはありませんか。
「明日から頑張るから、でも今は、少しだけ話を聞いて欲しい」というときはありませんか。
これからは、そういった人達ともっと、一緒に歩きたいなと思います。
きっとどこかに、傷つきながらも歩いてきて「頑張ったね」と言ってくれる人を探している人がいるはず…その人に「こうすればいいよ」という前に、「頑張ったね」と伝えられる人になりたい。
実際に会って話したり、電話で話したりしたときは言えるのだけど、このホームページ・ブログという題材で伝えられたことは数少ないのではないかなと思っています。
そんな感じ…ですね。
夏の朝、日が昇るのが早くてちょっとずつ明るくなってきている今、「自分ができること」というものが少しずつ見えてきてて…自分にも朝がきているのかな、となんとなく思いました。
もっと「私」が考えていることを書いて、この世界のどこかにいる「誰か」に、「あ、私も同じこと考えている、独りじゃなかったんだ」と思ってもらえるように。
私は私で、沢山のことを書いていきたいなと思います。
「答え」を導く以外に、「生きててよかった」、「気持ちを知ってくれてよかった」と言ってもらえたらいいな。
そして生きている中で「光」を取り戻すきっかけをつかんでもらえたらいいな。
とりあえず。今日も読んでくれてありがとう。みんなの存在が、私の明日につながっているよ。
コメント