私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
こんばんは、彗光です。
このブログで今まで霊的な生き方とか、「幸せ」を感じる過ごし方などを紹介してきましたけど、
最近そういったことを「実感する」ことが増えてきました。
「苦難」の乗り越え方や考え方を書いてはいるものの、私も時にはとても落ち込みます。
そんな時には「独りきりだなぁ、辛いなぁ」と考えてしまうもので。
そういった日々が続くと、ちょっとずつ「悪い方向」に進んでいっているな、と感じることがあります。
「悪い方向」に進んでいくと、周りの人が少しずつどうでも良くなったり。
上手く他人を愛せなくなっていきます。
「これ以上傷つきたくない」という心が、自分を守ろうとするのですよね。
実際は、もっと他人と関わっていきたいと思っていても。
「うまく他人を愛せない」状態になる…こういうことは誰にでもやってくる、そういうものなのです。
でも、そういった状態というのは、誰かからの「優しい一言」で解決することもあるわけでして。
最近、上手く話せなくなった…話や雰囲気が合わなくなった人がいます。
私は彼の「人間性」は好きなのですが、価値観について合わないところがあり
しかし、それが一過性のものだと思っており、少しすれば解決すると思っていました。
でも、実際話をして口げんかになったり、「話をしたくない」と一度思ってしまりすると、
自分から積極的に歩み寄るのは難しい…そう思っていました。
そんな、ある日のことです。
私が家でとある作業をしているときに、頓挫をしてしまいました。
実はその作業は彼が得意としていることで、助けを求めるかどうか悩みました。最終的には、彼個人ではなく、彼が所属しているグループ全体に、作業の悩みを送りしました。
すると、最初は誰からも返信がなく、「うーん、難しいか…」と思っていたのですが、少ししてから彼から返信がありました。
「ここについては今までいろいろやってきたので、困ったことがあったら頼ってください!!!!」
というメッセージと共に。
また別の話になりますが、この度遊びではありますが、とあるグループに入ることになりました。
チームを組んでいろんな相手と戦っていく、というイメージです。
私はチーム戦が苦手です。
他人が気づかないことが目に入ってしまい、伝えようとするのですが、その重要性をうまく伝えられないためです。
ですので、自分からはチーム戦を避けてきたのですが、この度「一緒に頑張りたい」という声をかけてもらいました。
そのチームの二人は、別の活動で言い合ったり、怒鳴りあったりした仲なのですが、
正直、またこういった近しい存在になるとは思っていませんでした。
びっくりもしましたし、とても嬉しかったものでもあります。
周りに嫌なこと、嫌な物事が沢山あると「すべての世界が“そう”である」ように見えてしまうことがあります。
すべての人が意地悪で、すべての人が愛に満ちていない…そう思うことがあります。
でも「必ず優しい人は近くにいて、幸せを分かち合える人が近くにいる」とちょっと感じることがありました。
今回書いた二つの話を通して、人間というのは「優しさを持っているのだな」と改めて実感しました。
暗闇が続いていると、人は誰でも「その先はまた暗闇ではないか」と構えてしまうのですが、
一筋でも「光」があると「もしかしたら、その先にはさらなる『光』があるかもしれない」
と、希望を持つことができるものです。
正直、私は最近人のために折れることが増えてきており。さらに諦めることも、望まないことも増えている状態でした。
でも、今回のことがあってから、ちょっとでも「明るい光」というものを信じれるようになりました。
「信じる」というか「そこにある」と思えるようになった、といった方が正しいかもしれません。
人は「いい意味で」予想が外れると、なんというか、自分の想像とか予想の小ささを実感します。
「ああ、この世界は悪いものでもないんだな」と思います。
そういった「優しい気持ち」というのが、日常のちょっとしたことから生まれるのです。
過去に、私は「他人のことを変えることはできない」という話をここでしたと思います。
この文章はちょっとこのままだと語弊を生みがちなので、詳しく書くと以下のようになります。
「人は、他人のことを『意図した通り』に変えることはできないが、他人に『影響を与えること』ができる」
つまり、他人に対して「こうさせたい」と思って頑張っても、それが無駄になることは往々にしてあります。
しかし、他人に対して「優しくしてあげたい」とか「相手のためになりたい」という、
「想い」については相手に伝わるもので、影響を与えられるものです。
普段自分が行っている行動は、きっと誰かが見ていてくれて。
そして、普段自分が抱いている「想い」は、きっと誰かのためになっている。
そういうことを改めて感じた今日この頃でした。
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