子供のときにかかった「呪い」のようなもの

Divine see you

最初に一つだけ。
この記事は自分の親を非難することが目的の記事ではないです。
それよりも、かかった「呪い」のようなものの正体や、「自分もそういうのないかな」って思いながら読んでくれると嬉しいです。

知らぬうちにかかっていた「呪い」のようなもの

昭和生まれの私は、年々歳をとり続け…誰が見ても見間違えないぐらいの大人になった。
髭は剃らなければ肌をザラザラさせるし、知らぬうちにできたしわもたくさんある。
自分でもどう成長したかは置いておいて…大人になった(なっている)と思っていた。

でも、最近。
「自分は子供のままだったんだ」と感じることがあった。
みなさんも、小さなことに根付いた価値観や習慣が、大人になった今も影響を及ぼしていることはないだろうか?
今回は私の話を例にして書いていきたいと思う。

いつの間にか固定されてしまっていた自己評価

さて、題名に「呪い」という言葉を使ったが、そうはいっても別にスピリチュアルのような話ではない。
でも、いつの間にかかかっていて、ずっと縛り続けていた面を見ると、「呪い」と例えるのが一番しっくりくる気がする。

あるとき家族とメッセージをやり取りしたとき、私はあることに気付いた。
それは「子供のころに根付いた価値観から抜け出せていない」ということ。

具体的には「結果がすべて」だと思い込んでいる節がある…自分に対してだけ。

  • 仮に仕事を10時間したとしても、成果が出ていないなら何も意味がない。
  • 達成できないのなら、その計画には意味がない。
  • 結果が出ていないのなら、自分を甘やかすことはできない。

他人に対してはそんな風には思わない…そう、本当に自分だけ。
例えば、パートナーが「今日は疲れたからちょっと長めに休んでもいいかな」って聞いてきたら、疲れた理由とか関係なしに「おう、ゆっくり休みなよ」と言える。

でも、自分にはそれを言うことができない。
「疲れた?何かできた?何もない?…じゃあ頑張らないとね」って言ってしまう。

よくよく考えると、私は小さなころからそういった「成果主義」の中で生きてきていたのかもしれない。
何かの「過程」を褒められたことがないのだ。

最終的な場面で「結果」を出さなければ褒められない。
失敗すれば怒鳴られるし、成功したとしてもその「事実」のみを褒められる。
「頑張ってきたね」とか、「辛いときも努力できたよね」とか家族から言われたことがないのだ。
多分、何十年も。

その環境が染みついた結果、自分を甘やかすことができなくなった。
「昨日はよく頑張ったよね、今日はご褒美にアイスを買おう」だなんて言えなかった。

自分を褒められないから、他人と戦えない

自分を褒めてくれる人がいなかったから、自分を褒める方法が分からなかった。
むしろ、責められるだけ責められたから、自分が貴重な存在だと思えなかった。
だから他人に酷い扱いをされても、「自分は褒められることもないから、しょうがないよね」ってなる。

世の中には利用できるものは利用しつくそうとする人がいる。
そういう人間は無抵抗な人間を搾取する。
実際、私は仕事や大学で、他人がやらないといけないことを押し付けられながら「ありがとう」の一言も言われない、なんてことは少なくなかった。

そういった酷い扱いをされることによって余計に自信は失われる。
「自分の価値なんてない」って思考が時間が経つことで増えていき、積み上がっていく。

そういった人間の中の一人、それが自分だった。

でも、誰かに同情して欲しいとか、過去の誰かを憎みたいとか思っているわけではない。

思ったよりまあまあできてた自分を見逃す

「どうしたら自分に価値というものが生まれるのか」とか。
「どうやったらこの人生を楽しくできるのか」とかをずっと学んできた。
自分を褒めることができなくて、褒められた存在じゃない自分に何かをする許可を出せなかったから。

おかげで、たくさんのことができるようになった。

昔の仕事の面では営業、商品企画、販促商材作成。
今の仕事ではマーケティング、CSS/PHP、デザイン。
仕事に関係ないところだと、電子回路、楽器演奏(ピアノ、ギター、ベース、ドラム、パーカッション)、歌うこと、音楽理論などなど。

そして、生きることの知識。スピリチュアルの知識。

こうやって振り返ってみると、いろいろなことができるようになっていた。
でも、ちょっと前までは、これでも足りないと思ったし、これらには価値がないと思っていた。

なぜなら「そこから大きな結果が生まれてない」から。
「成果が出てないものが多いから、そこで頑張ったことに意味がない」から。
ずっとそんな価値観に縛られてきた。

いつの間にかこびり付いていた「呪い」

今はこうやって振り返り、文章にすることができているけど。
ちょっと前までは、自分が自分を「価値のない存在だ」と思っていることに気付いてなかった。

いや、何となくそう思ってはいた。
でも、その理由が分からなかった。

「理解されることなく、結果だけを評価されること」に疑問を抱くまでは。

そこでやっと、自分は「過程を褒められたことがないこと」に気付いた。
褒められたことがない自分は、自分を誇れないことに気付いた。
自分で誇れない自分に、何かを許可できないことに気付いた。

あのときに「酷い扱いしやがって。ふざけんなよ」って言ってよかったことに気付いた。
あのときに「結果はまだ出てないけど、頑張った自分を褒めてもいいよな」って思ってもよかったことに気付いた。

今からでも遅くない

私のことを中心に今回書いたけど、皆さんもそういった経験はないだろうか。
いつの間にか形成された価値観にずっと苦しめられたり、知らないうちに何の疑問を抱くことなく受け入れてしまっている物事はないだろうか。

よく「インナーチャイルドを癒す」というワークがスピリチュアル界隈では流行っているが、子供のころからの痛みに気付くのは容易くないと思う。
なぜなら、それは積み重なって人の根幹に入り込み、呪いの如くずっとそこにいるのだから。

でも、解決するのに遅すぎることはないと思う。

解決をしたときに、見える景色が変わって。
少しずつ自分のことが好きになったり、幸せを感じることが増える。

…そんなことは誰にだって起こるし、それは、時間制限があるものでもなく、たくさん受け取れるのだと思う。

自分が嫌いな理由はないだろうか?
自分が大切にできない理由はないだろうか?

それは、まだランドセルを背負っていたときや、それよりもさらに前に形成された「呪い」によって起きているかもしれない。
その呪いに気付き、正面から立ち向かうのは大変かもしれない。

でも。

そこには「一人の人」として生きていいと思える自分がいると私は思う。
だから、多くの人が本当の自分を見つけ出し、過去にかかった「呪い」が解ければいいなと思った。

Divine see you
彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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