私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
伝わらないこと。それは、たくさんある。
例えば沢山の時間をかけて学んだことの結果、誰かに大切なことを伝えようと頑張っても…それでも伝わらない時はある。
それはまるで…
どんだけ練習をしても結果として簡単に成果の出ない、スポーツの試合のよう。
どれだけ練習をしても、打率が上がらない。
どれだけ練習をしても、スパイクが決まらない。
そんな感じに似ているような気がする。
でも、それでも。まったく変わってないということはないから。
それはまるで、たまたま打てたかのように見えるホームランのように。
それはまるで、たまたま決まったジャンプサーブのように。
少しずつ…感じられないようなスピードで人を変えていく。
そして、ある日突然。
まるで奇跡が起こったかのように、大きな変化を人にもたらす。
そう、それは…本当に突然だったりする。
だから、不安に思うことはないよ。
私たちには、いつでも…見えない見守ってくれている存在がいるから、「意味がない」ことなんてないんだ。
そして、もちろん。
目に見える存在で、あなたを見守っている存在もいる。
だからこそ、信じて進んでみればいいと思う。
それでも辛い時には、「辛い」っていっていいと思う。
いろんな存在が、あなたの元に駆けよってきてくれて。
「どうしたの?無理しなくていいんだよ」
って語り掛けてくれるはずだから。
真っすぐに進んでいこう。
「上手くいっていないとき」には、近道を探したり、自分の歩んできた道を疑ってしまうだろう。
でも、大丈夫。間違っていない。
仮に間違った道を歩んだように感じられたとしても、「その経験をする意味がある」ってことだってあるんだから。
失敗は、糧になる。
人を想う、優しさの元になる。
涙は、人を支える種になる。
同じように降り注ぐ雨の、傘になるから。
だから、失敗も意味がないことじゃない。
むしろ、それは「人を抱きしめたり、強く背中を支える原動力」になる。
いいんだよ。進んでいないように見えたとしても、きちんと進んでいるから。
人のために尽力すること。
人のために何かを伝えようとすること。
誰かを助けようとすること。
誰かの幸せを本気で願おうとすること。
どれも、簡単じゃない。
でも、それは同時に…誰もができることではないことも示している。
人のためにあれ、と心に決めて生きてきた足跡には、必ず他人の感謝があふれている。
優しくあれることを誇れ。
欺かずにあれることを信じろ。
見かけ上の近道に行くために、人を傷つけようとする囁きに負けるな。
自分の価値を上げるために誰かを踏み台にするな。
もちろん、そういった道に行ったとして、間違ったとしても。
必ず正しい道に戻ってくることはできる。
でも、
大義を失くして歩く道に成功は約束されているのだろうか。
瞬間の喜びに、未来を投げ捨てても良いのだろうか。
だったら、人のためにあった方が良いのではないだろうか。
その方が自分の心も、他人の心も救われるのだから。
伝わらないこと。それは、たくさんある。
でも、それが人のためである限り、無駄にはならないから。
そして、それがあなたのために、無駄になることはないから。
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