「何か嫌なことがあるなら、教えて欲しい」と伝えること。

すいこう いん まい まいんど

私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」

最近、何回も思うことがある。だから、これは特段誰かに向けたメッセージではない。
そして、そういったときには…みんなに伝えた方がいいと思うことだから。言葉にしておこうと思う。

「好き」の逆は「嫌い」じゃなくて、「無視」だ。
他人に対して何も言えなくなった時に、私はその人が少し遠くなったのだ、と感じる。

ときどき「嫌なことがあったのなら、その場で言って欲しい」という話を聞く。
そう願うのは普通のことだと思うし、なんら間違っていないと思う。

でも、それを相手に「望みすぎる」のは…ちょっと考えた方がいいと思う。
相手にだって「言う・言わない」の権利はあるのだ。

相手に「話をして」と望んだとて、相手が「話をしてあげたい」という気持ちにならなければ…どんなことでも言葉にはならない。
そういうものだと思う。

まずは、相手を思いやること。
冗談でも、“ノリ”でも相手を蔑むことは、極力言わない方が私はいいと思う。

そういう私もときどき言ってしまうことはあるけど…
でも結構慎重に言っているつもり、相手に伝わるかどうかは分からないけどね。

昔、大好きな美輪明宏さんがしていたお話を最近思い出した。

「最近の日本のお笑いは、他人を蔑むことで形成されている。誰かが不幸になることで、幸せを作り出している。それでは人の心が離れてしまう」

この話をしたのは、韓流ドラマ「冬のソナタ」が流行った時だった。
きらびやかな音楽、繰り広げられる悲劇と、その先にある幸せ。

まぁ…私は韓流ドラマを見たことがないんだけどね笑

でも、仰りたいことは分かる。
他人を蔑むことで笑いを作ったとて、そこには「次には誰が獲物になるだろう」という不安と、「ああ、この人は他人のためなら私を陥れるんだな」という失望しか出てこない。

だからこそ「人を蔑む・不幸にする話」は、場の空気とか雰囲気のためだといえど…私はするべきではないと思う。

そして。
そういった他人を蔑む人に対して…「何かあったら。気に障ったら教えて欲しい。」と言われても。
私は「傷ついたよ」だなんて伝えないと思う…まぁ、伝えられる時もあるけど。

だって。そういわれた時点で相手に対して「何かをしてあげたい」という気持ちにはならないのだもの。

相手に対して「嫌だ」ということは、思った以上に労力がいる。
特に嫌われたくないという想いや、相手を大切にしたいというスタンスがある人にとっては余計に。

そもそも、相手を不快にするだろうことを言うのは大変だ。

それを相手に「望む」というなら、それなりの応対をしなければならない。
いつの間にか言われずに、少しずつ距離を取られていた…なんてことにならないように。

もう少し、人を蔑むことの代わりに、人を褒めることが増えたらいいのに。
せめてネタにするなら、他人ではなく、自分をネタにすればいいのに。

そしたら、きっと。
たくさんの人が安心してお話をしたり、相手に正直な気持ちを伝えられる。

そんなふうに思う。そしたら、幸せなのになって。

※本文中の体験談には、フィクション要素が含まれることがあります。
※これは特定の誰かを責めたり、断定をしたりすることを避けるためです。

先生ちょっと聞いて

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彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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