私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
仕事というのは、どんな形であれ成果に対してお金が支払われるものよね。
例えば営業がものを売ったりだとか、製造が商品を完成させたりとか。
サービス業でもある一定の範囲のサービスを提供することで対価を支払われ、農業でも漁業でも食べ物を収めることで対価をいただく…そういうもの。
そういう私のスピリチュアルの仕事は、「何か悩みに対して結論を出す」という成果によって成り立っている。
「ただ話を聞いて頷くだけ」だとスピリチュアルの仕事とはきっと言えないと思うのよね。
…だけども、これはイコール「人の話を聞くこと」は価値がない、というわけではない、わけで。
繋がることの力
ちょっと重々しい雰囲気でスタートした文章だけど、すごく簡単に「言えば人に話を聞いてもらうだけで癒される」ということはあるよね、って。
最初に書いた通り、仮に「ただ人の話を聞くこと」を仕事にしようとしたら、難しいと思う。
というのは「ここからここまでが仕事」といったような分け方が難しいから。
「これが成果」というものがないからさ。
だけど実は…私はいろんな人とお話したいなぁ、ということを日頃思っているの。
友を助けたいと思う気持ち
昨日、友人から「ストレスがひどいから話し相手になってほしい」という連絡が来たのね。
実際に話すことになったんだけれども「特に何がストレスか」とか、「どうするのがいいのか」ということはほどほどに、ただ同じ趣味をおしゃべりをしながら遊んだのだけど。
今までの記事にたくさん書いてきているけれども、人を癒すことができるエネルギーというものは、相手をどれだけ大切に思っているかというものによって決まるのね。
「霊能力の才能」があるかとか、「何か儀式のような工程が必要」だとか、そういったものではなく。
実は人を癒すことができるエネルギーというものは、「相手を心配すること」であったり、「相手に優しくしたいなと思う」ことなのさ。
昨日声をかけられた友人と話し始めた時に、直接的な問題は何かという話も軽くしたけども、そこまで話が盛り上がらなかったから。
とにかく一緒に遊ぶことで「友人の気が晴れたらいいな」と思って、ただただ笑っていた。
最初ちょっとしんどそうだった友人も、日付が変わる頃遊び終わろうとしてる時には、少しだけ明るい気持ちになっていたような気がする。
なんていうか、こういった…おしゃべりをすることの「パワー」ってあるよね。
話すことで、相手が元気になるならたくさん、いろんな人と話したいなって思う。
独りにしない
それで、「友人に話を聞いてほしい」という連絡をもらった時に、なんとなく前1度悩みを聞いたことがある人達が頭に浮かんできて。
複数の人に突然、LINEを送ったのね。
内容は「元気にしてた?」とか「最近○○ていう曲を聞いたんだけど、確かそのアーティスト好きだったよね?」みたいな「とりとめのない話」。
自分の知人に営業をかけるのが極端に好きじゃなくて、
「元気にしてましたか、もし悩みがあるのであればまた改め聞きますよ」
みたいなことは嫌いなので、あくまで雑談を送るようにしたよ。
とりとめのないようなことでも、連絡送った相手のことを考えていればきっと相手の方には良いことが起きているはずだから。
あと、自分だったら気にしてもらえたらそれで嬉しいし、心配されたら「ありがとう」って思うのさ。
だから、それでいいかなって。
正直このホームページには「お問い合わせ」はあるけど、会話をするスペースというものはない。
記事のコメント欄に気軽に思ったことを書いてほしいなとは思うんだけれども、どうしても内容が硬くなってしまって 、ちょっとコメントしづらいんだろうなって思っててね。
昔でいう、「掲示板」みたいなものを作ったらいいのかな?ちょっと悩む。
とにかく私はいろんな人と話しているのが好きだから、もっと「いろんなメッセージをもらいたいな」と思っている。
私は話すことが仕事に主になっているから、ほんと、「どこまでが仕事でどこから雑談なのか」区別するのは私も見る人も難しいのかもしれないけどね。
でも、確かにそこにはあるんだよね…人に話をすることで気持ちが楽になることとか、人から話されたときに相手を思うことで、相手を癒すことになることとか。
おしゃべりの力と、それに付随する気持ちの癒し。
お金にならないとしても、たくさんの人の声を聞きたいなあって。
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