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こんばんは、彗光でございます。
今日は「他人にストレスを与えること」について書いていきたいと思います。
過去に「うつ病」が増加したときや、「ブラック企業」という言葉がよく使われるようになったときに、「人間のストレスに対する力」が間接的に注目されるようになりました。
例えば、「うつ病は気合いでなんとなる」という言葉がはやりましたが、これは「うつ病」というものが「人の意識の持ち方次第で回避できるもの」と考えられたため、よく使われるようになったものです。
実際「うつ病」というものは、仕事に関連する場合「適応障害」という別に状態だと扱われることが多いのですが、原因を特定して別のケースにすることがあるということは、「個人の精神の持ち方で回避できるもの」ではないことが分かると思います。
とにかく、「他人からストレスを感じ傷つくこと」というものが、「自分の気の持ちようでどうにかなる」という考えがいまだに広がっている風潮がありますので、今日はストレスについて書いていきます。
「ストレス」は受ける側が小言を言われ、与えた側は何も言われない状態
さて、早速ですが、実際に「ストレスを受ける側」になった場合、確かに考えの持ちようで、ストレスを軽減することができるのは事実だと思います。
しかし、だからといって「ストレスを与える側」のことを、何も考慮しないのは私はおかしいのではないかと思っています。
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