「本当の恋」は駆け引き勝負ではない(後編)

毎日のみちしるべ

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恋愛のお話、後半です。前回の記事はこちら。

「本当の恋」は駆け引き勝負ではない(前編)
リクエストを頂いた恋愛についてのお話。今回は前後編になっています。最近の恋愛の様子についての話と、気をつけることについて書いています。

そもそも、理想的な恋愛とは何なのでしょう?

「好きな人と、ずっと一緒にいられること」を望んで日々努力する人が多いと思いますが、
そのために「必要なこと」というのは何なのでしょう?

「恋愛」の初めは、のぼせるような熱情に頭が支配されて、ドキドキの毎日がとても刺激的で楽しく感じるだろうと思います。
でも、関係を続ければ続けるほど、いろんな局面に出くわし、様々な困難を乗り越える必要が出てくるものです。

熱情の中にいる限り、上記で書いたような、

「自分が傷つくことは回避したい。自分が我慢するのは嫌。でも、相手にはそれを許さない」

といった相手の「もろさ」や「痛みを抱く姿」人間性は、
時に魅力的に感じるかもしれませんが、困難を乗り越えるときには、障害になるものです。

逆の立場として、「もろさ」や「痛みを抱く姿」を「いつでも支えてあげるよ」と言われたとしても、
言葉通りいつまでも甘え続ければ、相手は疲弊していく訳なのです。

まとめると。
最初の甘美な世界にいつまでも浸っているような恋愛をしていると、「支える」「支えてくれる」という立場が固定してしまう状態…
つまり「不平等な状態」になってしまう、ということです。

「不平等な状態」で、二人が困難にぶつかるとき。
「支える」側は、目の前にある困難に立ち向かうだけではなく、パートナーのことも支えなければなりません。
そうなれば、「支える」側は過剰な負荷によって自分を維持するのが難しくなります。
最終的に、限界が訪れ、恋愛は破綻してしまうのです。

一瞬の「ドキドキ」のための恋愛なら、「平等な関係」は意識しなくても良いかもしれません。
「ドキドキ」が覚めたり、相手を支えることが負担になった際に「交際」を破棄すればよいのですから。

でも、もし…好きな人とずっと一緒にいたいのであれば…
二人の中での「支えること」と「支えられること」のバランスは、考えていかなければなりません。

最近よく聞く具体的な事例として、「社会性の欠如した男性」に魅かれる「女性」の話です。
女性は「母性」を持っているので、「子供」のような未熟な男性に魅かれることがあります。

しかし、女性は子供ができればその「母性」を「子供」に費やすようになるわけでして。
その際「母性を受けられない男性」はより我儘になることがありますし、
女性としても「母性」の範疇外となった男性を愛さなければならなくなります。

そういった男女が最終的に別れる…という話を私は何度も聞いてきました。
いつも「世話の対象の男性」で満たされていた「女性」は、「単なる我儘な存在となった男性」に嫌気がさし、
不倫に走ってしまい泥沼化する…という話を本当に沢山見てきました。

このケースは、「結婚生活を始めたことで環境が変化し、二人の関係が変わった」と解釈されることが多いのですが、
私からすれば「そもそも二人の恋愛観が、長く続けられる恋愛観ではなかった」ようにしか見えないものです。

恋愛を維持していく中で、様々な変化が起こること…結婚・出産・転職・引っ越し…を考慮しておらず、
「今の関係がずっと続くだろう」という甘い幻想の中で、恋愛を続けた結果だと思います。

「自分が苦しい時でも、相手を支えることができるか」
「自分が苦しいときに、相手が支えてくれるか」

この二つの質問に明確に「YES」と答えられない恋愛が多い、ということです。

この問いに対して、「相手は支えてくれないかもしれないけど、その時は私は我慢する」ということをいう人もいますが、
人間なのですから我慢には限界がありますし、支え続けることで報われない日々に虚しさが発生することになるかと思います。

これからの毎日、我慢と報われない日々を過ごすとなって…それを幸せと呼ぶことができますか?


今までの書いてきたことを、言い換えると以下のように言い換えることもできます。
「自己価値を上げるために、恋愛をしてはならない」ということです。

恋愛は「幸せにして貰う」ものではありません。
自分が「幸せ」になるもので、出来るなら「幸せにしてあげる」ものです。

でも、最近の恋愛を見ていると、
「好きな人に好きといって欲しい。それで満たされる」
「相手が傷ついても、自分は何もできない。だから何もしない」
という姿を沢山みます。

「他人を世話すること」で自分の価値が上がり満たされることはあると思いますが、それは「好き」という感情なのでしょうか。
「恋愛」と「パートナー」を「使って」、自己意識を上げているだけではないでしょうか。

そういった恋愛は、そもそも「好き」で付き合っているわけではないので、簡単に破綻してしまうものなのです。

「何かをすること・何かであること」が「幸せ」の条件になる恋愛をすると、その「条件」がなくなったときに、恋愛は終わってしまいます。
それは相手の体型…相手の性格…相手に対する自分の行動…なんでもです。

だから相手に「好きと言って欲しい」「沢山見て欲しい」と望みすぎることは、恋愛の終結を加速することになるのです。

続く恋愛を…自分が本当に心から満たされる恋愛を望むなら、「相手に条件を出さない」ことが大切です。
だからといって、「相手をないがしろにして」はいけませんし、「ないがしろにされること」を甘んじてもいけません。

まず、「人間として、ありき」なのです。
恋愛は「より幸せ」になるものであって、「ないと幸せになれない」ものではりません。
さらにいうなら、恋愛をすることで「悲しくなる」ものも回避すべきだと思います。

言い換えるなら、恋愛によって人間性を失ってなりませんし、相手の人間性を失わせてもいけないのです。
そのために、優しくあったり、強くあったりする必要があるんです。

優しさと強さについてはこちらで書いたのでリンク張っておきます。

皆さんの恋愛が、本当に満たされるものになるよう、祈らせて頂きます。

※本文中の体験談には、フィクション要素が含まれることがあります。
※これは特定の誰かを責めたり、断定をしたりすることを避けるためです。

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彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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