「優しさ」は「弱いもの」だと思っていませんか。

毎日のみちしるべ

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こんにちは、彗光でございます。
今日は私が長い間、研究…?検討…?しているテーマについて話をしていきたいと思います。

現状での結論なんかもお話しできればと。


突然ですけど、皆さんは「優しさ」と「強さ」というのはどういう関係性があると思いますか。
「優しさ」は柔らかいもの。「強さ」は鋭かったり、とんがっているもの…
そんなイメージで捉えられる方も多いのではないかと思います。

そう…「優しさ」と「強さ」は反するものだ…とお考えの方もいると思うのです。

実際、今まで「『優しさ』と『強さ』話」をしたときには、
「『優しさ』と『強さ』、どちらを取るか」
といった、二者択一のような話で出てくることが多かったものでした。

この話題が良く出てくる場面の一つに、「タイプの異性」話があると思います。
好みの性格は「優しい方がいいか」それとも「強い方がいいか」。
もう少し話を広げれば、「優しくて許してくれる人がいいか」それとも「厳しくしかってくれる方がいいか」
なんて話題になることもありますよね。

そこで、私は皆様に一度考えて頂きたいことがあります。

「優しさ」ってなんでしょう?「強さ」ってなんでしょう?

「優しさ」というものを「何でも許してくれること」だと思っている人はいませんか。
「刺激のない、つまらないものだ」と考えておりませんか。

「強さ」というものを「人をけん制する力」だと思っている人はいませんか。
「人を傷つける、我儘な振舞い」だと思っていませんか。


私が物事をすべて知っているわけではないのは重々承知でお話をさせて頂きますが、
この世には沢山の「優しさ」があって「強さ」があるんです。

自分の大切な「誰か」が、将来幸せになって欲しいと願い、心から叱ることも「優しさ」です。
その時に「相手の悲しい顔」を見ることから逃げないことも「強さ」です。

私は「優しさ」の極致というのは、「無償の愛」だと思っています。
美輪明宏さんが良くご説明さなっている「無償の愛」ですが、それは
「見返りを求めず相手に尽くすこと」
だと私は理解をしております。

その極致に至るには「見返りを貰えずに、相手に尽くすため」の「強さ」が必要で。
「優しさ」は相手を包む綿菓子のようなものから、人を突き刺す棘のような言葉まで巧みに扱わないといけないものです。

回りくどくなりましたが、結論をお話しましょう。
「優しさ」を貫くためには、「強さ」が必要なものです。その二つは相反するものではないのです。


巷の話をしましょう。

人と人との関係において、相手に求める姿勢というのはありますよね。
「優しく接して欲しい」とか、「切磋琢磨して高めあっていきたい」など、いろいろあると思います。

正直、そこで聞く「優しさ」について、「それはどうなの」と感じることがあって今回この記事を書いている訳です。

相手に「優しさ」を求めるときに、「自分のやっていることを何でも許してくれ」というのは間違っていると私は思います。
それは「言ったとおりにしろ」と相手に命令しているのと変わりません。

そして、その要望に応えるのも間違っていると思います。
「相手の行っていることに口を挟まないこと」が「優しさ」なのでしょうか。

皆様が「この先に崖がある」と自分は知っているとして。
大切な人がその方向に進んでいたら「そっちは危ないよ!」と大切な人を守るために、出来ることをやろうとしませんか。

他人への「優しさ」というのは、そういったものだと私は思っています。
大切な人を不幸せから守ること…そして、相手を幸せにしようとすることなのだと思います

しかし、「自分が相手のためにやろうとすること」が相手に理解されるとは限らないものです。
相手に拒絶されたり、最悪相手に嫌われることだってあります。

それでも、大切の人のために…勇気を奮わないといけないとき、というのはあるんです。弛まぬ「優しさ」には「強さ」が必要なわけです。

これが、先ほど書いた「『優しさ』を貫くには『強さ』が必要」という話になる訳です。

実際「すべての行動を許すだけの『優しさ』」というのは、何も考えずに…かつ恐れずに進むことができるものです。
大切な人が危ない橋を渡ろうとしても、「いいよ、いいよ」と背中を押すだけで良いわけです。
相手を肯定するから、自分が責められることもありません。

これを「優しさ」だと思っている方もいますが…誰に対しての「優しさ」なのでしょうか。


人間の各々の好みについて、私がとやかく言う筋合いはありません。
でも、他人を評価するときに「優しさ」を「弱さ」だとすぐに関連づけて欲しくない、と思って今日は書きました。

相手のことを思えば思うほどに、「優しさ」には「強さ」が必要なのです。
相手にぶつかる「勇気」や、相手を厳しく注意する「我慢」や、何より「まごころ」が必要なのです。

「自分が大切な人に何も伝えなかった結果、大切な人が不幸になってしまった」過去や、
「人を大切にすることが、どういったことなのか」という現実から、自分のできることを導き出した…
そういった「強さ」の中から本当の「優しさ」が生まれるのだと思います。

改めて尋ねさせていただきます。
皆さんは、「優しさ」と「強さ」は反するものだ、思っていませんか。
人の「優しさ」を「弱いものだ」と決めつけていませんか。

自分の「優しさ」が価値がないものだと思っていませんか。
他人と比べられて「優しさの価値」を認められないことを諦めていませんか。

子供を大切にして「叱ること」や、誰かに教える立場にいて「指摘すること」や。
愛する人に“ここぞ”と「進言する」こと。
そういったものが「評価されないこと」はよくあることです。残念ながら。

その代わりに「いいよ、いいよ」と微笑みながら考えもせず、全てを許すことを「優しさ」という人もいます。
でも、それは「無関心」なだけなのです。「優しさ」とは違います。

こういった背景の中で。
もう一度、周りの「優しさ」と「強さ」について考えて頂けないか、と私は思っています。
もちろん、自分の「優しさ」と「強さ」についても。

そうやって、「相手を想うこと」がどれだけ価値があるか、皆に広まっていったらなって。
「優しくあろうとする人」が「幸せ」を感じる世界になったらなって。

※本文中の体験談には、フィクション要素が含まれることがあります。
※これは特定の誰かを責めたり、断定をしたりすることを避けるためです。

先生ちょっと聞いて

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彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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コメント  

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