初詣のお作法は、願いを叶えるためのもの?

毎日のみちしるべ

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さて、三が日も終わり、少しずつ年始という雰囲気も和らいできました。
ちょっと遅くなってしまいましたが「初詣」について書いていきたいと思います。

何故今のタイミングになってしまったのか、というと。
「初詣」は友達や家族、恋人で行う、一つのイベントのようなもので、自由に行うものだと思っていたのですが。

テレビなどで「お作法」という形で初詣の礼儀を説明している番組で、「願いを叶えるために」という表現で説明されていたので、ちょっとスピリチュアルの観点から説明しておこうと思いまして。



改めまして、「初詣」というのは「昨年、一年神様が自分を見守っていたいたことに感謝を伝える場であり、今年一年が素晴らしい一年になるように、ご挨拶をする場」であります。

そこでお賽銭をお渡しして、祈願をするわけですが、これは「お願い事を伝えて、叶えてもらう場」というより、「決意表明を行って、見守って頂きたいとお願いをする場」と考えて頂いた方が良いかと思います。

例えばお作法の一つに、「参道の真ん中を歩かない」、「お願い事を人に伝えないほうが良い」などといったものがありますが、それ以上に「何を思って初詣に行くか」を大切にされた方がよいかと思います。

イメージとしては、「お世話になっている人にあいさつに行く」ようなものでして、決して「お願いを叶えてもらうために、神様にお会いしに行く場ではない」のです。

人の家に行ったときに、「挨拶して入る」とか「お土産を持っていくと喜ばれる」といったような礼儀が、「初詣」における、お作法になるわけです。
誰だって、お世話になっている人の家に「改めて我儘を聞いてもらうためにいく」訳ではないですよね。

神様は、全ての人に幸せになって欲しいとお考えになられており、いつでも私たちを見守ってくれております。ですので、お作法によって「人の願いを叶えるか叶えないかを決める」ということはなさりません。

だからといって、馬鹿にするような態度を取りながら参拝を行えば、「罰として」ではなく「無形のものを信じて欲しい」ということで、何かかたちの見えることで自分の周りで悪いことが起きることはあります。

明日から少し遅めの参拝に向かわれる方や、職場で改めて神社を訪れる方もいるかもしれません。もしよかったら、上記のような内容を頭の片隅に入れておいて頂ければ、嬉しいことこの上ありません。

いろんな行事の目的が、きちんと伝わって欲しいなと思った今日この頃でした。

※本文中の体験談には、フィクション要素が含まれることがあります。
※これは特定の誰かを責めたり、断定をしたりすることを避けるためです。

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彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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