結局のところ、「優しさ」が幸せへと繋がる道である

私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」


「自分の中で納得していることだけ、人に教えるようにしよう…」

そういうポリシーを守るために、自分の中で説明が疎かになっていることを学び始めて…気付いたら約二か月。

前回のブログの更新が…8月の末だから…本当にあっという間に時間は経ってしまった。
でも、その時間を活かして自分の中でよりくっきり明確になったビジョンはできたし、またより人のために新しいことを教えられるようになったと思う。

この期間で、大好きなトーシャ・シルバーさんの未読の本を二冊読み、その影響でインド哲学…ヴェーダをよく知るために、バガヴァット・ギーターを読み切った。
今の気持ちとしては、ほんと、明瞭な感じ。

正直、一つ伝えることや内容はほとんど変わらないと思う。
今まで自分が学んできたことがただ堅牢になっただけだから…それでも、自分が納得できている・できてないの差は大きいと思う。

やっぱり人は、純朴に生きるしかないと思うのだ。

いつでも自分の目指す方向に少しでも進む。
ちょっとずつ新しいことを覚えて、挑戦していく。

真剣に他人のことを考える。
そして、自分も健やかに生きていけるように大切にする。

多分それが一番の幸せを感じる毎日を過ごすための…「近道」なのだ。
最短ルート、といってもいいかな。
とにかく、「効率よく」とか「ちょっとずるいことをして」なんてやっていても、うまくいかない。

心にもないことを言って、偽りの笑顔を見せても他人には届かないどころか、何も生み出さないのだなって。
毎日泣くような日々を我慢して過ごしていても、その後にいい日がくるとは限らないんだなって。

世界はそうできている。
「他人に優しく。そして自分に優しく」なんだよねって。

大切なことは、他人に優しくあることと、自分に優しくあることを両立させること。
どちらかだけを大切にしても意味がない。

ときには、その崩れたバランスを元に戻すために大きな選択をすることも必要になってくる。
例えば…仕事を長めに休むとか。実家に帰るとか。学校をやめるとかね。

こういった選択を…一つの文章で説明していくことは難しいから、少しずつ文章にしていければと思う。

あ、そうそう。

これだと、単なる保証のない生き方になってしまうよね。
「こうするといいよね」って話を書いておきながら、その生き方が全ての人に適用されるかどうか、気になるところだよね。

大丈夫。

「他人に優しくあって、自分に優しく」あれば、人は最終的に幸せになるよ。
もちろん、その経過にはつらいこともあると思うけど。
その瞬間の痛みは、必ず報われる。

また端折っちゃうけど、キリスト教でも仏教でも、ヒンドゥー教でも。
哲学でも詩の世界でも、古くからあるスピリチュアルの本でもそう言ってる。

誰も「人を踏み台にして生きていこう(まぁ実際そういう本があったとしてもそういう書き方はしていないだろうけど)」だなんていっていないから。

「優しさ」や「穏やかさ」を信じて生きていけば、不思議とこの世の中が…時にそれは神と呼ばれるけど…助けてくれるから。

本当に。不思議なものなんだと思う…この世界ってものは。

でも、その世界に生きている自分も不思議な存在であって。
きっとその不思議に包まれているから。

(RADWIMPSっていうバンドがそういう歌うっていたような…)

だから大丈夫。
真面目に生きて。優しくあっていいんだよって、今は力強く言える。

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