自分の心の純度を上げて文章を書くということは。

すいこう いん まい まいんど

私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」

うわあ。
久しぶりに記事を書こうと思ったら、三ヶ月ぐらい記事を更新してなかった。

なんで記事を更新してなかったかということを…書けなくはないんだけど。
それを書き始めると、また記事を書く頻度が下がるというか。

なんていうのかな。
自分のやりたいようにやりたいなと今は思っていて。
それで今書きたいのがそういった「書いていなかった時期」の話ではないっていうね。

ただ、何かを周知するために…
それはこのホームページを有名にするとか、拡散して多くの人に自分を知ってもらうとかのことだけど。
その目的を達成するために自分の心を削っていくのが馬鹿らしくなってきたってのが本心で。

これからはSNSを使った宣伝的な活動は少なくしていこうと思う。
きっと興味がある人はこのホームページを見に来ると思うし。そうじゃなかったら見に来ないんじゃないかなっていう至極シンプルな話。

ただ、noteみたいに見たい人が簡単に情報にアクセスできる仕組みがあったらいいなと思う。
わざわざ見に来てくれて「更新されてなかった。残念。」と思わせるのは忍びないしね。

仏教でいう「我欲」。
まぁ、持っていても私はいいと思うけど、そこにしがみつくのは確かに良くないなと思う。

それで思うんだけど。
記事を作っているときに「アクセス数を増やしたい」とか「これでお金を入手したい」とかだけを思って記事を作るってのは、我欲にまみれているなって。

まぁ、目的を持って何かを行うことはいいと思うけど、私はそれを行うと本当に楽しく感じないし。
そもそも、読ませたい文章書こうとするといい文章を書けない。

自分で「読みたい」と思う文章ができないんだよね。
「読ませたい文章」を書いているはずなんだけどね。

毎日に疲れていたり、しんどいことがあったときに、無理に明るい文体の文章をとかを読みたいとは思わないし。
自分の感情を押し付ける文章も読みたくない。

「楽しいでしょう?」とか。
「幸せでしょう?」とか。

そんな感情を押し付けられてもなんにも楽しくない。
なんていうかな、私が求めているのは「chill」な話でそれを提供できればいいなと思ったわけ。

だから、「これが結論です!」みたいな文書ばかりを書くってことにはならないんじゃないかな、これから。
もちろん、悩んでいる人が解決の糸口を掴めるような記事も書いていくし、それは「解決策のデータベース」として蓄積していくけど。
検索とかでみつけられるようにってね。

でも、そればっかり書いていたら自分のところにはそういった…「解決」を求める人しかこなくなるわけで。
なんていうか、それは違うっていうか嫌だ。

日々の中で、「まったり」するような時間を提供したいっていうか…
私が何も考えずに読む文章が欲しいって思う人間だから、それに応えられるようでありたいなと自分で思ったわけ。

前も一回、どこかの記事で書いたことなんだけど。
人に知られることを目的にしない文章を書いていたときには、何か喜びがあったんだよね。

昔、私は…Naverでブログを書いていた。多分大学生の最初の頃。
その後にmixiが流行って書き始めて。その後にLivedoor blogで書いて、Wordpressに移行。
そして、こことは別にnoteを始めるって感じ。

一回さ、mixiで書いていたときなんだけど。
友人にね、軽く嘘をつかれてさ。それが悲しかったって文章を書いたことがあるの。

自分としてはその人を責めるってよりも、悲しいなって話をしたかっただけなんだけどね。
だけど、それに友人の友人が反応してさ、「嘘をつくほうにも事情ってものがあるんです!」って書かれたわけ。

それは確かだし、気持ちはわかるんだけど。
でも、私が悲しいって気持ちを持つのも自由だと思ったんだよね。

もちろん、誰かを必要以上に貶める文章は良くないと思うよ。
「みんなで叩きましょう」的な、同調圧力を求めるような文章は良くないと思う。

でも、それを恐れることで自分の感情を正直に表現できないのも良くないなって思う。
誰にだって胸に秘めていることを吐き出したいときはあるはずだから。

それは違うのかもしれないけど…何か読まれることを意識した…いや、違うな。
誰かにリアクションを取らせること・感じてもらうことを強く意識した文章というのは、自分の心を正確に表現できなくなると思う。

繰り返すけど、誰かを傷つけていいわけではないんだけどね。
でも、シンプルな「感情」というものの純度を下げるようなことは、書き手として非常にストレスを与えることになるなって。

いい文章っていうのは確かにある。
読んでいていい気分になる文章っていうもの。

でも、それは本当に定義するのが難しくて。
書き手の「いいところ」を潰してしまう可能性がある。

自分らしい…そして、自分が書いていて楽しいと思える文章っていうのが本当に大切で。
その範囲を逸脱しない範囲でブラッシュアップしていく方向性として「いい文章の書き方」があることを忘れてはならないと思う。

正直…ヒット数が高い文章を読んでも、あまりピンとくるものがないことが多い人間なので、私は。
だからこそ、なんていうか…読みたい文章を書くためにも自分が抱えている「純度」というのを大切にしたいと思う。

まぁ、久しぶりに書いた文章がこんな自分のブログ観というか、「いい文章観」の文章になってしまったんだけど、でも改めて自分の気持ちを整理し、書き続けていくことに対して真摯になるべく…必要なことだと感じたわけで。

もちろん、これは私の話で。
誰にでも適用されるものではないわけだけど、なんていうか。

20年近く、なにかの形で文章を書いている人間の経験として、何かを伝えられたらいいなと思う部分もある。
もちろん、その欲求…つまり誰かに何かを残したいという思いにしがみつくつもりはないんだけどね。

なので、これからこのブログでも、noteでも自分の思っていることを書いていきたいと思う。改めて。
ここのブログは彗光としてブログを書いていくし、noteでは彗光の中の人として記事を書いていくつもり…もしかしたら、そこに大きな差は本来はないのかもしれないけど。

…最終的には気分で切り替えるのかもなぁと今思っているけど、まぁ、それはそのときってか、どのようにブログをかき分けていくか考えないといけないときに考えるとしよう。

とりあえず、今日はこんなところで。
最後に、お久しぶり。また読んでくれてありがとう。

※本文中の体験談には、フィクション要素が含まれることがあります。
※これは特定の誰かを責めたり、断定をしたりすることを避けるためです。

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彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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