毎日受け取る優しさに、麻痺をしないように 

すいこう いん まい まいんど
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私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」


それ自体は悪いことではないんだけど、食べ物の好き嫌いがある人って結構いる。
家で食べているときはその食材を使わなければ問題ないし、外食をするときもその食材が入っているメニューを頼まなければいい。

問題は、予想外にその食材が出てきたとき。
例えばステーキを頼んだのに、付け合せで嫌いな人参がのっているとか。
茶碗蒸しを頼んだときに、中に入ってる銀杏がだめだったりとか。

そんなとき、一緒に食事をしている人がいるときは。
その人に「これ(嫌いな食べ物)食べれる?」なんて聞いて渡す人もいるかもしれない。

世の中には、自分が嫌いなものが好きだという人もいる。
夏がダメだったり、セロリが好きだったりするのね。

変に自分が嫌いな食べ物を押し付けるわけではないのなら。
協力して食べることはいいことではないのかなと思う。

まぁ、好き嫌いはない方がいいし、好き嫌いが多ければ栄養の偏りが出てしまうので…
できれば、自分の目の前にある食事は自分で完食するのがいいと思うけどね。

とかいっても、それぐらいは大したことではないと思うのだけど。

でも、そういった習慣の中で気をつけなきゃいけないことがある。
それは「自分の嫌いな食べ物を食べてもらうことを、普通だと思ってしまう」ことだ。

最初のうちは、「これ食べれる?」といって相手に確認して、「お願い!」といって渡していたものも。
いつの間にか、「はい、お願い」といって相手に否応無しで皿に載っけるようになってる…そんな人も、少なからず今までみたことがある。

「自分の食べれない物を食べてくれる」…ということは。
あなたに対して優しくしてくれているということなんだ。

こういった日々の優しさは、重なる度に薄れていきやすい。
そしていつか、「優しさを受け取ること」が、さも当然であるかのように知らぬうちに振る舞うようになってしまう。

それは、悲しいことだ。

なぜなら、その優しさが「如何に大きなものであったか」は、失った時に初めて気がつくもので、取り返しのつかないものだから。

もちろん、これは「嫌いな食べ物」の話だけではない。

例えば、
洗濯が苦手で、それだけは、相手にやってもらっているとか。
自分が体調を崩しがちで、約束をキャンセルしがちだとか。
お金が無くて、ちょっとだけ多く払ってもらっているとか。

そういう、日々起こりうる事…小さな「優しさ」を大切にしないとなって。

「自分がやっていることを評価して欲しい」という思いが強いときって。
「相手がやってくれていること」が見えなくなっている…そんなときが多い。

もちろん、そうじゃないときもあるけどね。
相手が本当に何もしてくれないときって、あるから。

でも、そういう「結論」に至る前に、自分が日々何をしてもらっているかは考えたほうがいいと思う。
「それはしてもらって当然」と思っていたことが、本当は「優しさ」からくる、価値あるものであった…そんなこともあるわけだから。

なんでこういう話を書くかというとね。

今まで「相手が何もしてくれない」といって、パートナーと別れることをお話してくれる人って結構いたんだよね。
その後、「無事に別れました」、と。

そして、新しい恋に落ちて、お付き合いを始めて。
「前の人と違って順調!」なんて報告をもらうの。

でもね、その後に悲しい報告が来ることも少なくなくてね。

「お前は、何をしても大切にして貰えると思ってるんだろ?お姫様かよ!」
って怒鳴られた、って女の人から言われたこともあってね。

普段から受け取っている優しさを、理解していなかったからこそ起きた悲劇を何度も見てきたんだよね。

ステーキの付け合せの人参を、何も言わずに渡している人がいたら、思い出して欲しい。
仮に、横にいる人が笑顔で食べてくれているとしても、それは普通のことではないんだって。

「いってきます」と、朝仕事に行く旦那も。
「いってらっしゃい」と、その間家を守ってくれている嫁も。

疲れたところ、食器を洗ってくれる彼氏も。
結婚のために、バイトを頑張ってくれる彼女も。

親の世話をする子供も。
子供を叱る親も。

なんでも、なんでもそう。
そこに「行う義務がないもの」には、優しさが含まれている。

そういうものを忘れてはいけないって。
嫌いな食べ物が出てきた時に、思い出して欲しい。

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