見ず知らずの人でも、少しでも気遣うことができたらいいよね

すいこう いん まい まいんど
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私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」


今日の移動中のこと。
バスに乗っていたのだけど、優先席に座っていた若い人たちがいて。

それに対して、お年を召した方が「お前ら立て!何どかっと座っている」と大声で説教を始めた。

確かに、若い人たちが座ってて、近くに譲るべき人がいたら。
立ち上がってあげた方がよいのだろうけど。

それを他人が強制したり、悪くいう必要はないのではないのかなと思った。
もしかしたら、若い人たちは怪我をしてたのかもしれないし。

その後、そのご老人は堂々と座っていたけど。もうちょっと相手の気持ちを考えられなかったのかしら、と思った。
優先席は、譲り合いの場所。何かを強制する場所ではないのだから。

こうやって、誰かが誰かに「嫌な気持ち」を与えることで、負の連鎖が始まる。
今回だと、きっと怒鳴られた若い人は歳をとった方全般に対していい思いをしないようになるだろう。

1人の人が、全ての人を決めるわけではない…1人のご老人が怒鳴ったからといって、他のご老人も同じように若い人に怒鳴るかどうか、何も関連付けはできない。

でも、きっと若い人は思うであろう。
「ああ、この世の中のご老人には優先席に座るだけで怒鳴る人もいるのだな」って。

そう。
その主語は「怒鳴ってきた特定の誰か」ではなく、「ご老人」という大きなもののままで。

見ず知らずの人にもうちょっと優しくしてあげられたなら。
特定の集団に対して、嫌な気持ちを持つことは、グッと減るはずなのに。

そんなことを思ったのだけど、なかなか難しいのかもしれない。

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