スピリチュアルな立場から、時事問題、ちょっとした出来事を読み解く記事…
それが、カテゴリー:「毎日のみちしるべ」
以前noteに簡単に記事にしたことがあるのだけど。
私はずっと、いわゆる「スピリチュアル」の世界で勧められる「許すこと」に疑問を持っていた。
「過去を許せ」…どんな被害を被っても、嫌なことをされたとしても。
それをなかったことしよう。
という、教え。
でも、それは違うと思う。なぜなら、私達は人間だから。
人は喜怒哀楽という感情を持ち合わせているのだから…その感情を否定するのは、生き方を否定するのと同義だと思うから。
そもそも、「許す」っていうことを言われるようになったのは
では、どうして「スピリチュアル」の分野で「許すこと」がここまで勧められるようになったのか。
まぁこれは…その主張をしている人の個人の意見だから…その良し悪しをジャッジすべきではないけど。
でも、きっとそういった考えが広まったルーツはあるわけで…今回改めてそのルーツを調べてみた。
宗教としての教え。
自己啓発としての教え。
読めば読むほどに、その元となっているものが海外からきていることに気づいた。
まぁ、今日本で流行っている「引き寄せの法則」とか、元を辿れば海外に行き着くのだから当然ではあるのだけど。
様々な文献において。
「許すこと」を勧める話には、大体セットで次のようなことが説明されている。
「何をされようが、他人を恨んだって自分が損するだけである。なぜなら、他人を恨む気持ちや許せない気持ちが、同じような悲しみや怒りを引き寄せ、自分を不幸にするからである。」
だから「他人を許すべきである」というのが大体、話の筋になっている。
そして、その海外での教えが日本でも広まってきて、今のように日本でも多く謳われるようになった。
…これが「日本で許すことを推奨する説が広まってきた背景」である。
だが、ちょっと待って欲しい。
実はこういったことを説明している海外の文献には、「怒り」や「悲しみ」への対処方法も書いていたりするものだ。
例えば、「とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく」という書籍の中で著者のトーシャ・シルバーさんは、「乾燥したココナッツを壁にぶつけ、その怒りを発散すること」を一つの対処例として書いている。
つまり、自分が受けたものを「良し」としているわけではない、ということだ。
他の「引き寄せの法則」に関する書籍…例えば、エスター・ヒックスさんや、ルイーズ・ヘイさんの著作でも…問答無用に、過去から受けた「痛み」や「苦しみ」を肯定することは書いていない。
自分の感情を溜め込んでいれば、自分のことを肯定することができなくなる、とさえ語っている文献もある。
しかし、日本で展開されているスピリチュアルの「過去の痛み」に対する教えは、受けた被害を「大変だったんだね」といって、肯定することすら書かれている場合がある。
この差はどこから来ているのだろう?
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