私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
最近、都内では新型コロナウィルスに対して、新しい行動指針が示された。私は、この行動指針をきちんと守る必要があると考える。
きちんと守るとは、語弊を恐れずに言うのであれば「言われた通りに守る」と言う意味である。
一部の人の考えに「自分で判断をして、人に迷惑がかからないことだったらば、ルールを少し位破っても良いのではないか。」と言うものがあるかもしれない。
でも実際にそれは難しいことである。
理由として「人に迷惑をかけないことを判断するのは難しい」という話もあるのだが、それ以上に気にしなければいけないことは「他人への影響力」だ。
ご存知の通り、今は自分がやりたくないことを強制されている時期であり、多くの人がストレスを感じている時期だ。そういった時期は、判断力が低下する。
仮に、自分で新型コロナウイルスに対する「正しい」判断ができたとしても、その判断に基づいた行動を、「他人が」適切に判断できるとは限らない。
例えば、「周りに他の客がいないから、今日は飲食店にちょっと長めに居よう」と、考えて行動した人がいたとする。
もちろん、行動指針に基づくのであれば、それはやってはいけないことだ。食事が済み次第、外に出るのが正しいと思われる。
ただ実際は、周りに人がいなければ、新型コロナウイルスを他人に感染させたり、自分が感染するリスクというものは高くならないのかもしれない。
でも、飲食店で物を食べている様子などを、 TwitterなどのSNSに投稿すれば、その行動を他の人が認識する。
別に、 その行動について批判を浴びるぐらいだったらばまだマシだと思う。問題なのは、そういった行動を見た人が、同じように長い時間、飲食店に居座るようになることだ。
それも、「周りにお客さんがいないから」長く居座っているという背景を、SNSを見ている人は、汲み取れないかもしれない。
「ただ、他の人が飲食店に長く居座っている」という事実を受け取り、真似してしまうかもしれない。
こういったことが、「判断の正しさ」 の 良し悪しに関わらず、起こりうるのだ。
「それならば、自分の行動をSNSにあげない人だったらは特に問題がないのではないか」
と思う人もいるかもしれない。
でも、実際はそういった行動を、他の人が見ている可能性があるのだ。そして、ルール外のことを行っている人の、状況判断が伝わることなく、悪い面だけ真似をされるということは往々にして起こりうることである。
SNSを見ていると、他人の行動に対してお門違いの批判をしている人が多く見受けられる。
例えば、自粛期間外に撮った写真に対して「どうして、写真の中の人は、マスクをしていないんですか」 などといったものである。
すでに、他人の行っている行動について「その背景を理解する」ということに支障をきたしている人がいるのだ。だから、変に行動を真似されてしまうということも起こりうるわけである。
自分の行っている行動というものが、正しいのが正しくないのか関わらず、ルールはきちんと守るようにしていこう。
突然、「あなたがルールを破っていたから、私もルールを破りました」ということを言われないように。
きちんとルールを守っていれば、こういった悲しい出来事は起こらない。出来る限り守っていこう。
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