私が「伝える側」ではなく、「感じる側」として日常を記す
それが、カテゴリー:「すいこう いん まいまいんど」
こんばんは、久しぶりにブログを更新します。
大体前回の更新から3週間ぐらい空いたのかな…?
まぁnoteの方では記事を書いていたりしたので、まったく文章を書いていなかったわけではないけど…
自分のホームページの方の更新は結構久しぶりになりますね。
さて、ここ3週間ぐらいであったことと、考えたことをつらつらと書いていきたいと思う。
先月末、一個前の記事を更新して。
その後、ちょっと理由があって自分の母親と電話で話をした。
実は、先月は「めっちゃくちゃブログ記事を頑張って更新をする月」として位置付けており、これで手ごたえを感じなければ、この仕事を辞めようと思っていた。
まぁ、結果としては…
特に何も実感を得ることをができず。
母親に「この仕事辞めるよ」という話をして、別の仕事に就こうと思っていた。
母親に経緯を話したら、意外にも「仕事辞めない方がいいと思う」という話をされた。
収益が殆ど出ていない現実を母親は知っているはずなのに、そういったことを言われるのは意外だった。
母親曰く、
「まずは自分が楽しく生きること、幸せに生きることを優先した方がいいと思う」
「でも、なんていうか、多分たくさんの人のためになれることを辞めるのは、もったいないと思う」
ということだった。
そう。
今回私がこの仕事を辞めようと思った理由に「手ごたえ」のこともあるのだけど。
それ以外にも「辞めよう」と思う理由はあった。
とにかく、今の仕事が「面白くない」のだ。
なんていうか、自分の書きたいことを書けていない気がするし。
何より、「人のため」といいながら、その活動に熱が入らないのだ。
取り合えず、母の言葉を聞き、直ぐに仕事を辞めるのではなく、一回自分が楽しいことをすることとした。
気持ちが新しい未来を生んだり、打開策を生むことは知っているから。
その「自分の心」の力を信じることにしたのだ。
それから、3週間。
noteに書いた記事が、100回「スキ」を貰ったり。
急性中耳炎になって、その後遺症で右耳が聞こえなくなったり(今は少しは良くなった)。
友達とオンラインで遊んで沢山話したり、笑ったりした。
その中で、あることに気付いた。
「どうして、自分は人に対しての想いを失ったのか。人のためにあろうという『熱意』を失ったのか」
ということ。
話は急に変わるけど、私は自分の前世の記憶というか…
自分の前世がどういうものだったのか、というのを知っている。
以前鎌倉で修行っていうか、練習をしていたときに偶然、見ることができたのだ。
この話は長くなるのと、結構自分のプライバシーに関わる部分になるので…
今回は詳細を書かないけど、
「前世が私に託した思い」というのがあったのだ。
それは、
「自分がバラバラになりそうなぐらい、頑張って怒りも悲しみもかみ殺して生きても、
必ずしも他人がその功績を認めてくれるわけではないよ。
それで悲しい思いになる時もあるよ」
というものであった。
私はこの「前世が私に伝えたかったメッセージ」というのを知ってから、
「じゃあ、どうやって生きればいいのか。そもそも『頑張って生きていることを評価してくれない世界』というのは、生きる価値があるものなのか」
というのをずっと考えてきた。
けれど、その答えはでなかった。
だから、この世界に失望していっていた。
でも、この3週間を過ごす中でふとした時に、その「前世から託された思い」に対してどう生きればいいか、分かったような気がした。
それは、
「無理をして感情を押し殺して生きることはない。怒っていいし、悲しんでいいし。許せなかったら、許さなくていい。」
というものであった。
今まで、このブログでも、人に教えるときにも。
できる限り、「怒り」や「悲しみ」というのは、早く手放した方がいいことを伝えてきた。
でも、それは「『無理に』手放すのではなく、『手放せるときがきたら』手放すのがいい」という意味でもあった。
しかし、なぜか私は私に。
そういった「怒り」や「悲しみ」をすぐに手放すように行使していた。
「怒ってはならない。すぐに許さなければならない。悲しんではならない。」
と。
それは、社会における「スピリチュアル人」のイメージと(いつもニコニコしているイメージ)、
「ブログは明るいことを書くのがいい」という一般的な言われと。
そして、「ネガティブな人は良くない」という、
いつの間にか作られた価値などを気にし過ぎたからだと思う。
正直。
私には「許せないこと・人」がたくさんいる。
私は今、「怒っていること」、「悲しいと思っていること」がたくさんある。
その感情をそのままに。
表現してもいいのではないかなと思うようになってきた。
もちろん、単なる「恨み節」とならないようにして。
私は、私を最終的に幸せにするために。
ブログを書き、沢山の人を助けていきたいと思う。
そのためには、怒り、悲しみ。喜び、笑う。
それでいいのではないかな、と思った。
私は私だし。
誰に嫌われてもいいかな。
まずは誰でもない、私と。幸せになるために。
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