近しい人が少しずつ死に近づくとき、私たちができることは。

毎日のみちしるべ

スピリチュアルな立場から、時事問題、ちょっとした出来事を読み解く記事…
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おはようございます、彗光でございます。
今日は「介護や入院」を意識した話、「死に近づく人を、周りの人はどう接していけばいいのか」ということをお話していきたいと思います。

さて突然私事ではあるのですが。
私には「弟子」というか、様々な「霊的な世界」を教えているというか…伝えているというか…(改めて書こうとすると、曖昧になる…)
そういった人がいまして。

その方が「介護の世界」に深く関わっていたため「人が死に向かうとき」というテーマでよく話をするんです。

そして、これも私事ではあるのですが…

最近親族内で重い病気を患った人が出まして。
その「余生」を「周囲がどのように支えるか」について、周りの家族がどう捉えればいいのか話す機会が増えてきたんです。

ということで、今日は「弟子との話」と「私の親族との話」から、最終的な私の考えをお話していこうと思います。

人に死が近づくとき。周りの人間は様々な対応をしないといけなくなる

さて、具体的な話に移る前に。
まずは一般的・現実的な話をしていきましょう。

誰かに死が近づいてくると…周囲の人は、「いろんなこと」を考えなきゃいけなくなるものです。

例えば保険をどのように適用させるか、とか。
身の回りの世話を誰が、どのような形で行うのか、とか。

そういった「手続き」などを順番にこなさなければ…となるものですよね。

そういった「対応」というのは正直、複雑だったり負荷が大きいもので。
時には親族内で押し付けあうようなことになったり、その対応を一人で行うことで世話をしている人間がつらくなったりする…という話をよく耳にします。

「自分が世話をしないといけない。けど、過負荷過ぎて対応ができない。どうすればいいのか」
とか、
「過負荷になるのは目に見えてる。できれば他の人に任せてしまいたいと思っているのだが…」
といった相談や話も、よく私の元に飛んできます。

結局のところ、そういった「多忙さ」と「人とのせめぎ合い」の中で、どう「死に向かう人」に寄り添うのがいいのでしょうか。

介護施設にやってくる人の気持ち

その答えを考える中で、皆さんにちょっと読んで欲しいことがあります。
それは、冒頭でも話をしました、以前介護の現場にいた「弟子」との会話です。

あるとき、その弟子から「介護現場と介護に送られてくる方」について教えてもらったことがあります。

弟子曰く(なんか古語みたいだな…)、
「実は介護施設に入所なさる方というのは、すべてがすべてみんなが納得して入所なさるわけではなんです。」

ここでいう「みんな」というのは、「入所なさる方」のことだけではなく、「入所なさる方の家族や親族」のことも含まれるそうです。

簡単にいえば、みんな「すがすがしい気持ち」で介護施設にいらっしゃる…というわけではないそうです。
言い方は悪いけど、家族から「邪魔者扱い」されて入所される方も居られる方もいる、とのこと。

そういった話を聞いて、私は弟子に尋ねたことがあります。
それは「そういった(家族に邪魔者扱いされて入所した)人は、きっと日ごとに体調悪くなったりしていない?」ということでした。

これはスピリチュアルな話(特にヒーリング分野)になるのですが、
「人というのは、精神的なダメージが大きくなると、最終的には肉体にもダメージを受けるケースが多々ある」という理論があり。

その理論が「介護」の世界にも当てはまるのであれば、家族から「邪魔者扱い」されて介護施設に入所した人は、精神的的に大きなダメージを受けており、それが原因で肉体的にも衰弱しているはずだ…
と思ったからでした。

弟子は以下のように答えてくれました。

「そうですね。家族から無碍な態度を取られて入所した人は、様々な症状が悪化している人が多いですね。でも、介護施設で『生きがい』を見つけたり、『人との触れ合い』を感じることで改善する方もいますよ。」

私はこの話を聞いて、「なるほど」と返しました。

「それがすべて」とはいいませんが…
スピリチュアルヒーリングの理論にある「精神と肉体のダメージ相関」が、「介護の現場」にもあるのだと感じたからです。

親族からの相談…ガンを患い、死期が見えてきた家族にどう接すればいいのか

さて、また話は変わるのですが。
最近、自分の親族から以下のような相談をされています。

それは、
「ガンのステージが進行しており、さらに『ガン』そのものも悪性だと判明している家族がいるんだけど、何を大切にして接していけばいい?」
ということでした。

この相談をしてきた親族は、冒頭に書いたような、

「保険関連」・「病院の対応」・「今までの介護との兼ね合い」

などといった、「死を目前に控える家族」の世話をする中で多忙であり、さらにその対応で周囲の親族の関係がギグシャクしてきたという話をしていました。

その中で「このまま世話をする家族がギグシャクしたまま、余生を過ごそうとしてる当人に接していていいのか」と、ふとしたタイミングで考えてしまったそうです。

実際、家族の中には「事務的にやることをこなしていけばいいだろ」と言っている人もいるそうで。
「人の人生の終(つい)」に遭遇していることを、理解していないかのように振る舞っている人もいる…とのことでした。

「そうやって、『人ひとりの死』を『事務的に処理しよう』とする人がいるなら、しんどくても私が全て周りのことをやったほうがいいのかな…とさえ思うんだけど…」

と、私に相談してきた親族は話をしていました。
私は、そういった相談に対して…

人が「死」に向かうのを見守るとき。大切なのは…

私はそういった相談に対して、以下のように答えました。

「確かに、人の『死』を事務的に扱うのは良くないと思う。
その背後には『人の入院や介護の対応がめんどくさい』という意志が隠れているからだと思うけど、そういった感情は世話をされている当人に伝わるもの」

「『邪魔者扱い」や『厄介者扱い』されながら、周りの世話をされたとしても。
当人の病状は悪化するだけだろうし(弟子の話)、本人だって『生きていたい』という意志を失うだけ。」

「それは、これから『人生の有終の美』を考えている人のためにならないことだよ。
だから、『応援するつもりで向き合っていくことが大切だと思う。」

そして、以下のように追加で伝えました。

「でも、だからといってそれで。あなたが無理するのもいいことではない。
誰だって、自分のために『無理をしている姿』を見せられたら心を痛めるから。」

「自分ができることを、出来る範囲でゆっくり行うことが大事だと思う。
『やらなきゃいけないことをこなすこと』よりも、『心穏やかにあること』を優先して。」

実際のところ、冒頭にも書きましたが。
「介護」でも「入院」においても、当人だけではなく周囲の人も大変なのは分かります。

そういった状態に、無神経な態度・言動を取る人が出てくるのも、しょうがないことだと思います。

でも、死に向かう人が。
まるで「生きているのが迷惑だ」と周りの人が思っているかのように感じてしまったら、本当に悲しいと思うんです。

「弟子」曰く、そう感じながら介護施設に入所している人もいるという…現実もあるようですが…

でも逆に言えば。
誰かが「最後まで幸せに生きてね」と“強く”願ってくれたら、その人の「余生」というのは素晴らしいものになると思います。

人が思っていることや、願っていること。
そういったものは、不思議なもので。言葉にしなくても伝わったり、現実を変えていくものです。

だから、大切な人が「死」という「人生の終」に向かうとき、周囲にいる私たちがやれることは、一つ。

「最後の最後まで、幸せに生きてね」

と願うことなのだろうと、思うのでした。

※本文中の体験談には、フィクション要素が含まれることがあります。
※これは特定の誰かを責めたり、断定をしたりすることを避けるためです。

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彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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