スピリチュアルな立場から、時事問題、ちょっとした出来事を読み解く記事…
それが、カテゴリー:「毎日のみちしるべ」
こんばんは、彗光でございます。
昨日の記事、自分が思った以上に反響があったので、今日は関連した続きを書いていきたいと思います。
さて、昨日は「誰だって幸せになることができる、平等である」というお話をしました。
「人によって幸せは違う、でも、同じように『幸せを感じられる』ようになっている。」というお話でしたね。
多分、昨日の記事を読んだ人でこのように思っている人がいるのではないかと思い、続きを書きたいと思います…
「じゃあ、なんで私は今こんなに不幸なのよ」、と。
「幸せ」と同じように、「不幸せ」も自分で感じるものです。
他人の幸せが自分の幸せにならないように、他人の不幸が自分の不幸にはならないことが逆もまた真なり、です。
つまり、自分が「不幸かどうか」は自分が定めるものです。
「不幸だな」と今感じている人がいるとすれば、きっと不幸の対象になる何かをお持ちでしょう。
それは「お金がないこと」かもしれませんし、「孤独なこと」かもしれませんし「分かって貰えないこと」かもしれません。
「不幸」と感じるのには理由があるのです…だから、その原因を取り除けばいいわけですね。
と言えば、きっとこうお思いになる方もおられると思います。
「そんな簡単に不幸を消すことができれば、苦労などしていない」と。
では、「乗り越えづらい不幸」というのはなんで発生するかについて書いていきますね。
その理由が分かれば、きっと「不幸」を乗り越えられたり、「不幸」だと感じなくなると思います。
昨日お話した「業(カルマ)」について改めておさらいしていきしょう。
「業」というのは、「人間が生まれてきたときに持ち合わせた、クリアすべき問題」です。
人というのは、生まれるときに課題を選択して生まれてきます。
それは例えば、「人に優しくありたい」とか、「多くの人を助けたい」とか、「自分を大切にしたい」など。
そして、その課題をクリアするために人生をかけて、様々なことを経験する訳です。その中の一つが「不幸」です。
人は「不幸」を経験する中で、今までの生き方を振り返るものです。
「こんな仕事を選ぶんじゃなかった」、「こんな人と結婚するんじゃなかった」、「無駄遣いをしてしまった」など…
そして、また同じように「不幸」にならないために、人は人生を修正をしていきます。
これこそが、自分が生まれてもってきた問題…つまり「業」を解決するための、選択だったりするのです。
例えば、この世に生まれてくるときに選んだ問題が、「自分に優しくある」という課題の人がいるとします。
その方は、他人を大切にするがあまり、自分をどんどん犠牲にしていきました。
しかしながら、犠牲にした分の「見返り」が返ってこず、自分だけみすぼらしい気持ちになった…とします。
ここで学ぶべきことは、「自分を犠牲にしても、自分が幸せを感じられないこともある」ということです。
つまり、自分が選んだ問題を解決するために「自分に優しくする」には、
「自分を犠牲にしてはならないし、仮に犠牲にしても意図したものは得られない」
ということを知る必要があった、ということです。
ですので、言い換えると「不幸」というものは実は自分への警告だったりするのです。
「あなたが望んだ『業』を解決するには、今のままではダメだよ」「違う選択をした方がいいよ」
ということを人生が教えてくれているのです。
さて、今までの話をまとめながら、現実的な話に視点を移していきましょう。
今、「不幸」を感じている人がいるとします。その人は、ずっと「不幸」を抱え続けている人です。
人生がその人に教えていることは、「変わることの必要性」です。
今のままでは「現状を脱却することが難しい」、と伝えているわけです。
今抱えている「不幸」を解決するためには、「考え方を変える」か「力不足を解消するために努力する」か…
とにかく、何かかしら変える必要性がある訳です。
それは、「世論や社会的な一般論に打ち勝つこと」かもしれませんし、「自分を信じること」かもしれません。
物理的な「学習量が足りない」とか、「実力不足」ということもあり得ます。
必ずしも「行動」を変える必要はない訳で、「思考」を変えるだけでどうにかなる場合もありますし、
積み重ねが必要な場合もあり、変化の後しばらく耐える必要がある時もあります。
とにかく、今の「不幸」を「幸せ」に変えていくには、「自分を変化させること」が必要なんですね。
「今不幸であること」を他の“せい”にすることもできると思います。
「たまたま上手くいかなかった」、「時代に合わなかった」、「環境が良くなかった」、「誰かが邪魔した」…
そう思うのは自由ですし、もちろん事実であることもあると思います。
しかし、同じような「不幸」を繰り返していて、いつも「外部のせい」にしていれば、現状は変わらない時もあります。
もし、同じような「過ち」や「失敗」を繰り返し、それが原因で「不幸」を感じるのであれば、
例えそれが「外部要因」が理由であっても、「自分が変わる必要がある」わけです。
では、どう変わればいいのでしょう?
それは、過去の事例を参考にすれば答えが見つかる場合があります。
同じような人生を過ごして、同じような失敗を繰り返している人は、生まれ持った「業」も似ている可能性があります。
本を読むなり、誰かに話を聞くなりして、他人が「同じような困難」をどう乗り越えたかを知ればいいと思います。
「守護霊」という、私たちの人生をサポートする方々は、「変わろう」という意志に呼応して、必死にヒントをくれます。
何気ないメッセージに着目するように、日常の中で何度も同じキーワードを見せてきたり、
たまたま偶然手に入った本に「困難を乗り越える答え」を潜ませていることもあります。
上手くいかない理由を、他の要因にし続けていれば人は変われず、前に進むことができません。
どこかに落ちているだろう「きっかけ」を探してみて欲しいなと思います。
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