人生は誰でも幸せになれるものであり、それぞれの幸せがあるということ

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こんばんは、彗光でございます。
今日は久しぶりに、深いスピリチュアルの話をしましょう。

突然ですが、皆さんは「人生」というものがそれぞれに、平等に与えられていると思いますか。
「誰でも幸せになれるもの」なのか、「人によって幸せの大きさが既に定まっているもの」なのか…
いろいろな困難に直面した時に「なんで自分だけ不幸なんだろう、不平等だ」と思ってしまうときなど、
人生の「平等さ」について考えてしまったりしますよね。

結論から言えば、人生というものは平等で、全ての人が幸せになることができるものです。
しかし「誰かの幸せが、他人の幸せに必ずしもなるわけではない」ということを覚えておいて頂ければと思います。

文章で表現すると分かりにくいので、例を挙げていきますね。

まず、「誰だって平等に幸せになれる」という話ですが、人によって幸せの尺度は違いますし、価値観は違います。
チョコレートで甘いものを満足できる人がいれば、大福じゃないと満足ができない人もいる…みたいなものです。
そして、チョコレートも一粒で満足できる人もいれば、板チョコ一枚食べてやっと満足する人もいます。

ここでいう「平等な幸せ」というのは、甘いものでいうならば「満足感」のことを指し示します。
板チョコ1枚食べないと満足できない人に、
「他の人はこれで満足するから、チョコレート一粒で満足して」
とお願いしてもできない訳でして。それが「他人の幸せが、他の誰かの幸せに必ずしもなる訳ではない」ということです。
そして、誰でも必要なだけのチョコレートを…つまり、十分なだけの「幸せ」を得ることができるようになっているのです。

幸せの尺度は違う訳なので、「他人が誰かの幸せ量ること」はできません。
「自分が」幸せだと思えば幸せなのですし、「自分が」十分だと思えば十分なのです。

話は元に戻りますが、人というのは誰でも「各々の十分な幸せ」を得ることができるようになっています。
それは、この「人生」というものが生まれてくる際に、「何かしらの目的」をもって生まれ出でることに関係しております。

「業(カルマ)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
これは、「生まれ出でるときにそれぞれが持つ、人生の課題」のようなもののことです。
上記でいう「何かしらの目的」のことですね。
人というのは、「人生」においてこの「業」を果たすために生まれてくるのです。

この「業」というものは、人…というか、魂によって違うものです。
イメージすると分かりやすいのが、学校の「選択授業」のようなもので、「魂ごとに必要としていること」を選び、
その人生をスタートする訳です。

「人生」を経験する中で、最初選んだ課題(「業」)をクリアすることで、人(魂)は成長をするわけです。
その時に、「生きる理由」や「幸せ」というものを実感したり、考えたりするようになり、
その人生で足りない部分は輪廻転生を行うことで、新しく「課題」を選択し、学んでいくということになります。

そうやって「魂」を成長させていく…これが、全容だと私は思っています。

今回は「幸せや人生の平等性」について書いているので簡単に書きますが、その「業」を学ぶにおいて、
全ての人にアシスタントが付くようになっています。それが「守護霊」であったり、「前世の霊」であったりするのです。
この「サポート体制」は誰にでも準備されているものであり、そういった意味では「平等」だと言えます。

まとめると…

  • 人は「平等に幸せになること」ができる。しかし、「誰かの幸せ」が普遍的に他の人の幸せになる、というわけではない
  • その理由としては、生まれ持ってきた課題(「業」)が違うため、「何処を目指して生きているか」がそれぞれ違うから
  • 「業」をクリアすることで、「人生」というものや「幸せ」というものを時間することができる
  • 人生を進んでいくにあたり、サポート体制ができる。それが「守護霊」であったり「前世の霊」だったりする

といった感じになります。

今日はちょっと概念的な話をざざっと書いてみました。
各要素を掘り下げるとすごい量になるので、今回はこんな感じで締めたいと思います。
コメントやコミュニティでリアクションがあれば、各要素を深く掘り下げていきますので、気軽に仰って下さいね。

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