「スピリチュアル」の教えを守るために、他人を「許す」必要はない。

毎日のみちしるべ

ところが、その文章の背景をきちんと汲み取らずに「許す」という文字が先行してしまったことで、「過去の痛みを許しましょう。相手を汲み取って肯定しましょう」という違った意味で、痛みへの対処が広まってしまった。
これはちょっと乱暴だなと私は感じる。
(まぁ、日本語訳の際に「許す」ではなく「赦す」を使ってほしかったなぁ、という思いもあるし、スピリチュアルの教えを広めている人はもう少しソースに触れてほしいなって思いはあるけど)

長々と書いたけど、結論としては。
「過去に被った自分の痛みを、肯定する必要はない。」ということになる。

じゃあ「赦す」ってどういうこと?

では、具体的に「赦す」ということは、どうすることなのか。

それは、端的に言うなら「気にしないようにする」ということである。

酷いことをしてきた人がいるなら、その人の行動を肯定する必要はない。
その人が肯定できず、一緒にいるのであれば距離を取るなりして離れてしまっていい、ということである。

問題なのは、その被害を与えてきた人に関わりすぎたり拘りすぎることで、自分の思考が「怒り」や「悲しみ」でいっぱいになってしまうことである。
そうならないためにも、自分の中で痛みをどうにかして対処することが大事なのだと思う。

そのために、誰かに相談するのもいいと思う。
気分を発散するために、カラオケに行って大声で歌うのもいいと思う。

とにかく、可能な限り「切り替えること」が大事なのだ。
繰り返しになるけど、それで必要十分であり、自分を傷つけてくる人を大切にする必要はないし、肯定する必要もない。

「引き寄せの法則」の大事なことのひとつに、「日常から意識して自分の感情をコントロールし、前向きな姿勢を維持すること」があるが、それと同じぐらい「自分を大事にすること」がある。
自分を大事にしないと、自己犠牲に走ってしまう。
そうすると、「自分は幸せになるに値しない人だ」という潜在意識が強くなり、目の前に幸せが迫っても受け取ることができなくなってしまう。

そうならないためにも、自分を傷つける人を大切にする必要はなく、自分の感情を大切にすることが必要になってくる。

ときに、忘れようとした過去の痛みが脳裏に浮かび、苦しくなることもあると思う。
そんなときにも、「自分は前向きになれない駄目なやつだ」と思うのではなく、「同じような苦痛から自分を守ろうとしているのね」と自分を肯定できるようであった方がいいと私は思う。
(痛みってものは、その言葉の通り苦しみを伴うものだから。そう簡単に抜け出せないときだってあるのだから。)

※本文中の体験談には、フィクション要素が含まれることがあります。
※これは特定の誰かを責めたり、断定をしたりすることを避けるためです。

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彗光(すいこう)

早稲田大学人間科学部卒。
在学中に「貧困」など、人への助力について学ぶ。
卒業後、ビジネスで困っている人を助けるために、提案営業として就職。
その後、ビジネスを超えて人の力になりたいと思い、独立。
「空のみちしるべ」を立ち上げる。

並行して「なんとなく、人の知りえないことが分かる」というぼやっとした力を、自分で学び解析し安定して扱う方法を解明。
現在は人生相談に乗りながら、霊能力や占いについての指導を行っている。

霊視経験 約20年。
参考にした著書 40冊以上(エスター・ヒックス、ハリー・エドワーズ、バーバラ・ブレナン、ベティ・シャイン、トーシャ・シルバーなど)

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