
スピリチュアルな立場から、時事問題、ちょっとした出来事を読み解く記事…
それが、カテゴリー:「毎日のみちしるべ」
昔に比べて、自分のことしか考えられないというか。「自己評価」のことしか考えられない人が増えてきている気がします。
自己の定めた価値観で人を判断し、その定規で「価値が低い」と思う人間を否定する…
そして、「自分は、『定めた価値観』の中で偉い」と大声で言いふらす…そんなことが最近増えてきているな、と感じます。
今日は、「どんな人と付き合うのがいいのか」と「自分が弱っているときに、人を求めてしまったら」について書いていきます。
もくじ
他人を否定することで、評価を上げたい人
冒頭の話に戻りますが、「価値観を押し付けて、他人を評価する行動」について。
否定的に書きましたが、その気持ちもわかるんですよね。
いろんな価値観があるから、合わない人を「合わない」と言いたくなる気持ちは私も分かります。
でも、その反面「合わない人」を否定したところで、何にもならないのだよな、ということも思うんですよね。
恋愛で「~する女の人の気持ちが分からないし、気持ち悪いと思う」とか言っている男の人とか見たことありますけど、
そう思うのであれば、自分が合わない女性と「付き合わなければいい」だけであって。無理に口にする必要がないのでは?と思います。
「“自分が合わない人”に自分の人生の時間を割くより、“自分が合う人”に人生を割くほうが有意義ではないか」と思うんですが、
実際そういった発言ばかりをしている人はいるものでして。
その理由として、「俺に合わない奴は、おかしい発言」は、「自分が正しい」「自分が偉い」ってことを暗に認めさせたい、という意識が入っているんですよね。
でも、冷静に考えてみて。
人に「同意」や「賛同」を得られないと、自分を誇れないというのは少し悲しいと思いませんか。
「他人」という自分がコントロールすることができない環境をもとに、自分を「誇示」しても、うまくいかないことが多くなるわけで。
結果、「虚しくなるだけ」です。
「自己評価」を上げる道具にならないようにしましょ
そういった、「大きな声で自分の考えを発言し、自分の価値を高めようとする人間」がいたら、とにかく寄らないのが一番です。
「大きな声の発言」に反対すれば、即座に攻撃してきますし、
賛同すれば、反対意見を持っている人間を攻撃するのに利用されたり、上手くいかない時に「仲間だから」という理由で依存してきます。
とにかく、「大きな声の人」は自信がないんです。
だから、なんでもかんでも巻き込もうとする。そして、合わない人は一人で攻撃をされないように、早めに排除しようとする…
とにかく付き合わないほうがいいでしょう。
でも、孤独なときには誰でもいいからって思うもの…
ただ、自分自身が孤独なときには、誰か仲間が欲しくなりますよね。
「誰でもいいから、寄り添って欲しい。心が通じ合える仲間が欲しい」と、心から望んでしまうこともありますよね。
私も、スピリチュアルの道を志してから、「仲間が欲しい」と心から望んだことは何回もありますし、今も時々思います。
特に、酷い扱いをされた後とかは、「誰か助けてほしい」と思うものです…
「スピリチュアルを信じている人は、統合失調症なのでは?」とか言われた時には、しんどかったです。
辛いときには、新たな仲間が欲しくなるものです。
でも、そういう時にはまともな判断ができないものでして。
後々付き合うとめんどくさくなるような人からの、所謂「甘い言葉」にコロッと心がなびいてしまう時があるものです。
だからこそ、弱っているときには「安易に新しい関係を作らないようにすることを意識しておきましょう。
「優しい言葉」がオアシスのように感じられてしまうので。
仮にそれが「塩水」だったとしても、簡単に飲み干してしまうでしょう…また、新たな塩水を求めてしまうと知っていても。
助けてくれる人は、今既に横にいる人かもしれない
自分が弱っているときに、誰かを頼りたいなら「既存の関係」をまず探してみましょう。
今も付き合ってくれているということは、少しでも自分のことを慕ってくれているはずです。
「新しい関係」に発展する必要がないわけですので、相手の甘い言葉に警戒する必要もそこまでありません(ただし、異性関係は気を付けて)。
そこで、まず自分の心が癒えるまで、関係性を維持しましょう。
新しい仲間を探るのは、そのあとでも問題ないはずです。
まとめ
「人を否定しかしない人」とは、付き合わないこと。ただ、自己評価を上げたいだけの可能性があるから。
それでも、誰か仲間が欲しいときがあるのはわかる。特に自分が辛いときとか。
でも、そんな時には安易に新しい関係を作らず、既存の関係から自分の心を癒していこう。
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