「人(他人)を傷つける人」に対する霊的な見解と対策・前篇

実は最近。
「人(他人)を傷つける人」の心理や対処を知るために、私のホームページを訪れる人が増えてきています。

ですので今日は改めて、
「人が他人を傷つける理由」や「そのときのエネルギー状態」、「そういった方に遭遇した時の対策」などを改めてまとめていこうと思います。

自分が他人から傷つけれられたときに、「なぜ自分が傷つけられたか」が分かれば、自分で対策を取れると思います。
しかし、困ったことに最近は突然、他人から傷つけられたりすることも多いものです。

そういった場合はどうすればいいのでしょうか…?

ではその対処法を探るべく、まず「人を傷つける人」を霊的な側面から見ていこうと思います。

結論からお話をしてしまうと、「人が他人を傷つけるとき」というのは「自分の心が満たされていないときである」ということができるんです。
実際に「自分を認めて欲しい」というエネルギーや、「自分を見て欲しい」というエネルギーが枯渇している状態なんですよね。

ちょっとこれだけだと”ざっくりと“しすぎなので、細かく分けて説明していきましょう。

その1、怒り。

まず、「人が他人を傷つけてしまう」最初のケースついてお話をしていきましょう。

「強い恨みや憎しみ」などを抱え、その感情に対して十分に本人が納得していないとき…
つまり、相手に対して強い「怒り」や「憎しみ」の感情を持っているのに、相手がその影響を受けていないとき。
人は攻撃を行い相手を傷つけようとします。

「くそう!あいつはなんでこんなに、俺に迷惑をかけるのに、のうのうとしてられるんだ!」とか、
「あの人のせいで、私が今まで積み上げてきたものが無駄になった…」という心情になったときに、

「どうしてあの人は、それでも何の損もしていないんだろう?」

という考えから、「相手を攻撃し、傷つけようとする」ということですね。

この時、傷つける側は「非常に攻撃的なエネルギー」に包まれています。
「自分の身体が攻撃に埋め尽くされている」と言っても過言ではないでしょう。

そういった「波動(エネルギーの流れ)」に満たされているため、何かを説明しようにも冷静さを欠き、その「攻撃のエネルギー」を取り去らないことには怒りが収まらない、ということも多いものです。

このケースの困った点として
「怒っている人間が相手を攻撃したとしても、怒りのエネルギーが取り去られないことがある」
ということです。

元々意図していた、「自分が恨んでいる対象を攻撃したい」というものを満たしたとしても、エネルギーが満ちている限り攻撃行動は続くのです。

「最初は相手を批判していた」のに、途中から「必要以上に相手の人格を否定してしまっていた」というケースは、こういった「攻撃のエネルギーに支配されてしまう」からこそ、起こることです。

言い換えれば相手を攻撃して傷つけても、必ずしもそれで終わるという訳でないということです。

その2、自己肯定。

それでは、次の「人が他人を傷つけるとき」の状況を見ていきましょう。

実は特に周囲に対してそこまで激しい「怒りや恨み」のような感情を持っていなくても、周囲を傷つける人というのはいるんです。
これは「自分が他に認められていないため、自分の評価を上げるために周囲の評価を下げたい」という欲求からくる「他人への攻撃衝動」だったりします。

そのためこのケースでは、本人は他人にネガティブな感情を持っていなくても、「自分が他人より価値があると実感する」ためなら他を傷つけてしまうわけです。
正直、「自分の存在価値のため」に他人を攻撃するのですから、非常に迷惑ですよね。

ちなみに当然の話ですが、他人を攻撃したところでその人の「価値」が上がることはありません。
仮に相対的に自分の評価が一時的に上がったとしても、環境が変わればまた他人も変わるため、すぐに評価など元に戻ってしまいます。

霊的に見ても、他人を傷つけたところで「人から認められるようなエネルギー」は向上しません。
それだけではなく「人を傷つける」というエネルギーを生成してしまう存在になってしまうため、他人からしてみれば「あの人は、人を傷つけるエネルギーで満ちているんだ」と認識され、避けられるようになるのが常です。

さらにときどき、「ある集団」が他人や他集団をけなすケースを見ますが、その「他をけなす集団」は「エネルギーの同調」でお互いにエネルギーを行き来させているだけ…つまり「仲間意識」に安心しているだけ、ということがあります。
なんというか「仲間」を作るために「他人を傷つけてしまっている」ことがあるんです。

それはもう、「他人を傷つけること」が「いい」とか「悪い」とか関係なく、ただ「何でもいいから仲間が欲しい」という欲を優先させているということなんですよね。

しかし、結局お互い「他人と繋がっていたい」という欲求を満たし合っているだけなので、個人個人が成長したり深くつながっているわけではないんです。
ですから、その瞬間はエネルギーが満たされ気持ちよくなっても、また一人になった時には満たされぬ気持ちになってしまい…
また他人を「みんなで」傷つけることで繋がりを感じ「自分を満たそう」としてしまうんですね。

すごいシンプルに言えば「自分の存在意義」のために「他人を傷つけている人・集団」というのは、「他人が傷つく」という意味を、まったく理解していないで、自分のために他人をけなしている、というわけなのです。
悲しい話ですよね。

他人を傷つければ傷つけるほどに、「自分の存在意義」というのは薄れていくことになるのですが…
それを理解できていない、というわけです。

最近は、こういったケースを良く見かけるようになってきました。
近年、1人の「身体的な欠点」を集団で「けなす」ことを…所謂「いじる」ことを…けなされる側を「おいしい」などと肯定して集団で「笑って他人を攻撃している」のが流行っていますが…

これって、「けなす側」の人間が「けなすこと」の仲間意識を得たいがゆえに、1人を何とも思わず犠牲にしていることですから…悲しいというか、むなしいなと思うわけです。

後半に続く(思ったより長くなってしまった…

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